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新自由主義に実は立ち向かってた物語:ドラマ『拾われた男』の感想

拾われた男 (文春文庫)

(松尾さんが書かれた絵↑、かなり独特の味わいで好き。ドラマにもちょいちょい使われています)

今日は俳優・松尾諭さんが、ご自身の人生を基に書いた原作(↑)…に基づいてつくられたドラマ『拾われた男』の感想。
仲野太賀さんが主演なので観た(ディズニー+のお試し期間中に)。かなり面白いし、先進的な取り組みもあったのだけど、後述するマイナスポイントが結構大きくて、大満足で観終わることはできなかった。せっかくいい作品なのに、すごく惜しかったと思う。

あらすじ。

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上京して役者を目指す松戸諭(けそ注:ドラマの主人公は一応、名前を「松尾」から変えている)は、オーディションにすらたどり着けない、鳴かず飛ばずな日々を送っていたが、ある日自販機の下から航空券を拾ったことで運命が大きく動き出す。

その航空券の持ち主はあるモデル事務所の社長で、彼女に“拾われる”ことになった諭。
曲がりなりにも役者としてのキャリアがスタートするが、オーディションは落ち続け、バイト先のレンタル店では恋に破れる日々だったけれども、最強の“運”と“縁”に恵まれている諭は、彼を“拾ってくれる”人々との数々の出会いを通じ、やがて大役を手に入れ、そして人生最高の恋を手に入れる。

つつましく幸せに暮らし始めたころ、諭にある一本の電話がかかってくる。
それは、アメリカに旅立ったまま音信不通だった兄が倒れたという知らせだった。
人々に拾われ続けた男が、今度は兄を“拾う”べく旅立ったアメリカで、彼の思いもよらない、さらに多くの出会いが待ち受けていた…。

ディズニー+の紹介ページより引用)

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好きだったポイントを3つ挙げる。

 

1 人の人生を追体験できる&2000年代タイムトリップのわくわく感

この話は日本とアメリカが主な舞台なんだけど、日本編はあらゆるディテールが丁寧で(アメリカ編について思うところは後述する)、松戸さんの人生を今自分が生きてるみたいな、そういうわくわく感を楽しめた。


たとえば、松戸さんの初めてのオーディションシーン。

待合室にいる人たちの様子とか、会場に移動していくところとか、持ってきたバッグどこに置く?みたいな迷いとか、そういうところが映されてるので、自分だったらどうするだろう・どうふるまってるだろう?って気持ちが誘導されるつくりになっていて、こっちまで緊張してくる。

 

松尾さんが東京に出てきて役者として活動を始めた時期は、たぶん1990年代~2000年代はじめくらいだと思うんだけど、そのあたりの東京の街の雰囲気・人々の服装・家の中の感じとかもすごく懐かしくて、観ていて面白い。ああ、そうだ、TSUTAYAではなんかこういう、女性ナレーションのおすすめ作品の紹介とか流れていたよな…(でももうTSUTAYAとかすっかり行かなくなっちゃったよな…ていうかもうたぶん実店舗ってほとんどないんだろうな…)とか、忘れていた記憶の引き出しが開けられる感じ。

 

2 豪華なキャスト陣の丁寧な演技が支える豊かなキャラ造形

とにかくこのドラマ、キャスト陣がすっごく豪華。

主要登場人物の、仲野太賀さん、伊藤沙莉さん、草彅剛さん…あたりはCMとかでもご覧になった方もいるかもしれないんだけど。

主人公の松戸さんが働くバイト先(たぶん原作ではTSUTAYAだったんだと思うけど、ドラマ版はもじってTATSUYA?になってた)にいる要潤さんとか安藤玉恵さんとか、松戸さんの事務所にいる社員役の鈴木杏さんとか、松戸さんの友人役の大東駿介さんとか。こういう脇を固める役者陣たちがま--素晴らしかった!コメディって、脚本とか演出とか衣装とかと役者陣の演技のバランスがうまくいかないと画面の中の波に自分がついていけなくことがあるけど、この作品はそれぞれがかちっとはまっていて、観ていて気持ちよかった。

 

私は特に、バイト先の人たちがすごく好きだった。

「映画監督になりたいけどくすぶってる人」「私語に厳しいバイトリーダー」…みたいな、最初は「わかりやすい」キャラに見えるような人たちの、実は優しいところとか実は情けないところとかが無理なく描かれていて、その人たちが何を愛しているかが伝わってきて、立体的で、最後には自分もこのTATSUYAで働いていたみたいな気になった。変な人が変なまま働くことを許されてて、自分がやめたあとも近くを通ったら挨拶したくなるバイト先だった、TATSUYA(私は結構いろんなバイトをしてきたけど、やめてからただ話をするために寄りたいと思うくらい好きだったバイト先は一つくらいしかない。レアな存在)。

現実社会では、自分の所属するコミュニティに自分が好きな人ばっかりいることってなかなかないから「(時々むっとすることとかあるにしても)この人たち、好きだなあ」って、そういう時間を心だけでも通りすぎることができる物語が、嬉しかった。

 

バイト先もそうなんだけど、全体的に、女性達の描き方で好きなところが多かった。

「亭主関白な家における妻の反乱」的なシーン、だいたいのドラマは嘘くさくて冷めるけど(ていうかそもそもそういう家の妻はだいたい反乱しない。子供を守ることよりも夫の機嫌を損ねないことを優先する。そういう家で育った私は、いつも観ていてつらくなる)、このドラマのそのシーンはよかったと思う。

世間のイメージに勝手にあてはめられてた井川遥の「人間」としての多様性も描かれていて…(井川遥氏は松尾さんの事務所の先輩で、本人役として出演している)すごくよかった…今の物語だなって、思った。

 

男性たちの描写については、「悲しい」「淋しい」という気持ちに、最後はまっすぐ向き合おうとする男性像を描こうとしているところがいいなと思った。ウケとかエロとかアルコールとか自虐とか絡めずに、女性も媒介せずに、自分の悲しい気持ちに向き合う男性像ってなかなか描かれないから。それは、悲しい気持ちに向き合ったり泣いたりする男性は「弱い(=よくない)」って扱ってきた世間・世界にも問題があるんだけど…。こういう風潮、変えていきたいよね!

3 新自由主義に実は対抗する内容であること

新自由主義は、「自己責任論」と結びついている。このページで語られていることの説明がわかりやすかったので、一部引用する。

2001年に小泉政権が誕生して以後「この世界でのし上がっていけたのは本人の努力の結果で、そうでなかった人は努力が足りなかったからだ」という「自己責任」論を勝ち組と負け組の分割に使う社会的風潮がつくりだされました。そして先の04年イラク人質事件を契機にすべての個人に「自己責任」が問われるようになりました。マスメディアを通して、自分たちが向かうべき本当の敵にたちむかわずに、別のところに攻撃の矛先を向けるようにしむけられていく象徴的な言葉として「自己責任」という言葉が意図的に使われてきたのです。

 

〔中略〕

 

国家が個人に対して「目己責任」という言葉を使うのは、「国外で国民が生命の危険にさらされても政府は責任を取らない」「正規労働につけず、生活が成り立たなくても、政府は生存権の保障をしない」という、百パーセント憲法25条を蹂躙すると宣言していることに等しいのです。「小さな政府」や「規制緩和」と「目己責任」論はセットになった新自由主義の人間破壊の思想なのです。

(北海道勤労者医療協会のウェブサイト(責任回避のカラクリ-「自己責任」という言葉をめぐって(3) 小森陽一さん(東大教授)に聞く)より引用)

そもそも人間はぜんぜん平等じゃなくて、「持ってる」人であってももともと持っていたものが弱まったりなくなったりしてしまうこともたくさんあって、つまり「個人の努力」でどうにもならないことはたくさんある。…のにもかかわらず、今日本で(特に働いている人の中で)自己責任論を内面化している人はすごく多い。内面化しても、自分のプラスになることはぜんぜんなくて、首が絞められていくだけなんだけど。私も、新自由主義いやだ!と思っているのに、自分の中でその価値観を内面化してしまっていることに気づく場面が、今でも、たくさんある。

 

ということで、私は今の世の中にこそ、「反・新自由主義的な物語」がすっごく大事だと思ってる。個人の努力とはまったく関係ないところで、人生が動いていく物語。「何か具体的な目標のために〇〇をする」っていうのじゃなくて、どうなるかわからないけどとにかく始めてみる、動いてみる、そしたらなんか助けてくれる人とかがいて何かが変わる、っていう、物語。

(そもそも人間は生きていればいつか老いるわけで、今自分が強者だと思ってる人も、生き続けていればかならず弱者になる。さらに、新型コロナウイルスの研究が進んで、やつらはなかなかの頻度で老化(に似た状態)を引き起こすことがわかってきている(若者であろうと、持病がなかろうと、そうなる可能性がある)。つまり、今の地球に生きてる人は、コロナ禍以前とは比べものにならないくらい、突然「弱者」になる可能性が高まっている。新型コロナについて海外の情報を翻訳していろいろ発信されたり、各種論文をAIで分析されて対策案を出されているAngamaさんの投稿↓(Angamaさんのアカウントは、それこそときどき新自由主義だなと思う発信もあるが、日本の大手メディアがとりあげないような情報を教えてくれるので毎日チェックしている))

(今度詳しく記事を書くかもしれないけど、私はこの後遺症を新型コロナウイルスへの感染直後の苦しさ以上におそれているので、(もうかなりコロナ終わったモードになっている2022年11月の日本にいても)外出をめちゃくちゃ制限しています。1年以上寝たきりになってトイレに行くのもスマホを持つのも難しい人、失明しちゃう人、考えることや物を覚えることが難しくなってる人、希死念慮を覚えるようになってしまった人がいるんですよ…。時々、「今でもコロナを厳重に警戒している人は交通事故を恐れているようなもんだ」って言ってる人がいるけど、交通事故に遭う確率より後遺症の長期障害(Long COVID)を負う可能性のほうが、ずっとずっと高いのよ…。感染者の10%くらい(!)、て言われているのよ…(というか、そもそも新型コロナについては感染予防にできることが(一般に広まっていることよりも)いっぱいあるし、交通事故と並べて語るのは間違っている)。科学的な根拠をもとに情報発信している人が伝える最新情報を常に追ったほうがいいと思うのですが、参考用に、日本で一番新型コロナの後遺症を持つ患者さんたちを診ていると言われている医師が書いた本を貼っておきます。Long COVIDでどんな症状が出るのかや、対処法が載っています↓)


(あと最近読んでる、日本の新型コロナ対策はどうまずいのか?について書いてある本も貼っておきます。書き手の方は医師ではない&ちょいちょいミリオタなのか?というたとえが出てくるのが気になりますが、ワクチンやマスク、PCR検査などについて「科学的に」説明してくれてる本で、他の人の発信を読む上で必要な知識が得られる本です。これ1冊でOKとは思いませんが、読むといろいろ勉強になります↓)

 

(新型コロナの話でだいぶ脱線しましたが…『拾われた男』の話に戻りまして)

 

どう「反・新自由主義的なのか」っていうと、松戸さんはまず、「俳優になりたい。方法はよくわからないが、とりあえず東京に行ってみよう」って、兵庫から東京に出てくる。適当にオーディションなど受けていたがなかなかきっかけがつかめずにいたところ、たまたまモデル事務所の社長に会って、たまたまなんとなく俳優としての経験を積んでいく。人生で起こったこと・そこで思ったことが、たまたま出演作に活きることがある。この、「たまたま」が、すごくいい。

 

今、日本はどんどん貧乏になって、こういう「とりあえず」何かやってみようと思うことがすごく難しくなっていると思う。それどころか、とりあえず何かやってみることは今、まるで「金持ちの道楽」みたいに扱われていて(実際、金銭的にも精神的にも余裕がないと難しいことはたしかなんだけど)、それをやっている人間のことを役に立たないと言ってくる人や、無駄だと言ってくる人がいる。

 

目標に向かってまっすぐ進んでいく人も、それはそれでいいと思うけど、それだけが正しい人生だ、正しい人間だ、って勝手に世間に決められるのはむかつく。


恵まれた環境に生まれた人だけがこういう寄り道ができる、っていうことがそもそもおかしいと思うから、みんなが好きなだけ寄り道できる世界に早くなったらいいのになーと思う。

 

ーー


でも、こういう、いいところがあれこれある一方で、松戸さん、「愛されキャラ」では許されねえだろ、という箇所もいろいろ気になった…。

先輩俳優(女性)の携帯番号をすぐに周り(その俳優の知り合いでない人)に見せようとしたり、共演する俳優(女性)の部屋に(フリだとしても)入ろうとしたり…。こういう「おとぼけ女好きギャグ」みたいなの、現実の加害に直結しているから早くやめてほしい。あと、子供がいるのに、子供の世話についてまったく考えずに全部妻に任せてすぐに単身アメリカに行けちゃうところ、怒りがぼうぼうに燃えた。全然親としての当事者意識がない(みんな『母親になって後悔してる』を読もう!)。そういうところに、編集者役の夏帆さんのつっこみを入れてほしかったよ!ここの女性の描き方好きだぜ!ってとこがいっぱいあっただけに、ほんとに残念。

 

それから、アメリカに舞台が移ったとき、(原作がそうだからなのかもしれないが)メインキャストが白人ばっかりで、それもすごい、気になった。VGF(松戸さん兄が働くレストラン)にはいろんな人種の人がいるけど、描写がなんというかステレオタイプ的で…。日本の登場人物たちと比べてキャラが薄くて、残念だった(ちょっとのセリフや動きでも、もっと生きてる多面的な人間として描くことができたはずだと思う。というかこういう人たちが働いている土地だったら、店の外は白人ばっかりなのおかしくないか?)。

 

あっ、でもね。子役を怖がらせないような演出をしていた、ってところとかはすごくいいと思った!

 

リアリティなんて、役者たち、とくに子供の役者たち、の心に深い傷をつけてまで追い求めるもんじゃないよ!!!生身の人間を大事にしてこその、いい作品!

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