螘サンバカーニバル

けそのブログだよ

『作品』としてさらされる女性達:『恋じゃねえから』

低気圧と湿気が苦手な私にとって、地獄のシーズンが始まりつつありますが…がんばっていきまっしょう!

 

今日紹介するのは、マンガ『1122(いいふうふ)』の作者・渡辺ペコさんによる最新作『恋じゃねえから』。1巻について。

※なるべくがんばってネタバレ控えるようにしてますが、以下の内容は少しネタバレ含みます。

 

恋じゃねえから(1) (モーニングコミックス)

 

「恋愛だから」「芸術だから」と、もっともらしい理由の仮面をかぶって行われる加害に、メスを入れる作品です。日本の映画界・演劇界でMeToo運動が盛り上がっている今だからこそ余計に、より多くの人に読んでほしい内容になってます。
※でも、性暴力のフラッシュバックのおそれがある方は気をつけてくださいませ。。。


あらすじ↓
==

結婚し一人娘の母となった40歳の茜は、ある日、中学時代に通った学習塾の先生・今井が彫刻家になったことを知る。

彼が発表した「少女像」は、かつての親友・紫の姿によく似ていた。

「作品」となった14歳の紫に再び向き合ったとき、26年前の記憶が蘇る。封印していた1枚の写真、私の犯した罪。

あの頃、紫は先生と恋をしていた。そのはずだった——。


恋じゃねえから|モーニング公式サイト」より引用
==

 

あらすじだけ読むと、「像ってだけなら、そこまで問題ないのでは?」と感じるかもしれないけど、この像は、紫の身体的特徴をそっくり反映した「裸の少女像」だったんですわ…。信用できる人にだけ見せていたその姿を、勝手に再現して、誰でも見られるところに無許可で置く。めちゃくちゃ怖くないですかね?

この「怖いこと」「おかしいこと」と戦おうとするのは、40代の女性たち。40代の女性がメインキャラの作品(特に、「母親性」以外に焦点をあててる作品)は増えつつあるけどまだまだ世の中に少ないので、その点でもこの作品を応援してる。

この記事では、この作品が扱っているテーマの周りについて、私がこれまで学んだり考えたりしてきたことを、主に書いていこうと思う。

中高生の少女を、大人の男性が「恋愛対象」として、あるいは「性的な目で」見ること


『月曜日のたわわ』広告炎上の件で、「当事者である女子高生は怒ってないのに、外部にいるフェミばっかり文句言ってる!」みたいな論をTwitterに投稿してる人を見たけど、日本の多くの女子高生は、自分が(というか女子高生という存在が)どういうふうに世間に性的に搾取されているか、まだ認識できていないと思う。認識できてないものに対して怒りを向けることは、できない。

性的に価値があると思ってもらえることはラッキーだと思っちゃってる子もたくさんいると思う(私も10代のとき、そうだった。「アリ」だと男性に思ってもらえる女でありたいと思っていた)。だって世間は、そういう「恋愛対象の女であれ」「性的な女であれ」「若くてかわいい女であれ」ってメッセージを、生まれてからずーっと、CMやらドラマやら日常会話やらでたくさんたくさん、刷り込んでくるんだもの。

よっぽど意識的にそのことを「脱学習」しない限り、女性たちはこういう価値観を死ぬまで内面化し続ける。でもその価値観が、だんだん自分の首を絞めていく。

(こういう苦しさについて詳しく書いているのが、『女子をこじらせて』。そこから少しだけ解放されるラストも含めて、私はこの本が大好き)

 

 

で、です。中高生(特に女子)と、(大人である)先生(特に男性)の「恋」がいかに危ういかっていうことも、中高生の当事者で気づけている人は少数派だと思う。私は中学生のとき、「女子中学生の生徒との(性的な行為含む)恋愛模様を書いてる、男子大学生のホームページ」を読んでて、同級生の男子と、更新された内容について話して「あれやばかったよね?」ってゲラゲラ笑ったりしてた。『あいのり』観て、感想を話し合うのとおんなじ感覚で。それがどういうふうに怖いことか、危ないことかなんて全然わかってなかった。
人気のマンガの中でも、大人っぽい高校生女子のキャラが大人の男性と付き合ってるって描写は頻出してた(『彼氏彼女の事情』とか←作品自体は大好きなんだけど、この設定は徹底的にアウトだと思う)。今思い出したけど、私自身が高校生の時に、同級生で10歳以上年上の人と付き合ってる友達もいた。それが「危ないことになるかもしれない」って教えてくれる情報には全然出会わなくて、「この子は大人っぽいから、大人じゃないと相手としてバランスが取れないんだな」って納得してた。

だからこそ、中学生・高校生のほうじゃなくて、大人たちのほうが、「10代の子に大人が性的な要求をするのは、恋愛という言葉で許されちゃいけない」ってはっきり認識しておかないといけないと思ってる。

大人が、恋愛の仮面をかぶって性加害に及ぶってことは私の「妄想」じゃなくて、実際に被害に遭っている人がいっぱいいる。
大人に「恋愛」だと言われて納得してしまっていた子たちについての記事↓

dot.asahi.com

 

この問題点を扱った作品として、自身が恋だと思っていたことが実は性被害だったと、大人になった主人公がだんだん気づいていくというストーリーの映画『ジェニーの記憶』もおすすめ(前にnoteに書いた感想はこちら)。
ただしこちらも性加害シーンがあるので、フラッシュバックのおそれがあると思う方は注意してくださいませ…。

女性たちを消費する「芸術」たち

『恋じゃねえから』の1巻は、紫と茜の二人で、件の像を取り下げてもらえないか交渉するも難航する(というか、ほとんど拒絶される)ところで終わる。これから二人がどうやって交渉を進めていくかが2巻からの見どころになると思うのだけど。

今、スクリーンにかかっていたり、配信されている映画の周りには、「像の取り下げをとうとう認められなかった紫」みたいな気持ちになっている(特に)女性たちがいっぱいいる。
そもそも取り下げてほしいと言い出すことも思いつかないほど傷ついてしまった人も、言い出すことが怖くて泣き寝入りしている人もいるだろう。ドラマや演劇の世界でも、同じことが起こっているだろう。

冒頭で、映画界・演劇界のMetoo運動のことについて触れたけど、ここ数年、好きだった男性映画監督たちが作品に出演してた女性俳優たちに性暴力をふるったことがわかる件が頻発していて、私はそれがすごくすごく悲しくて。キム・ギドク氏も、園子温氏も、そう…。

www.afpbb.com

 

www.jprime.jp

(その後園監督からは謝罪文が出ているんだけど、自分のしたことをちゃんと認識できているとはとうてい思えない内容だった)


私が彼らの映画を「いい」と思ってたのは、「どろどろ渦巻いている欲望は、実際の加害の形で発散するしかないんじゃなく、作品として表現するエネルギーに向けることもできるんだ」と信じてたから。それは希望だなって思えたから(私は自分の父親にされてきた言葉の暴力に対して燃えるような怒りをずっと持ってて、それは文章やマンガをつくる大きな理由の一つになっている。彼に直接復讐したい気持ちのエネルギーを、捻じ曲げて創作に向けている←ほんとは、私に必要なのはカウンセリングだと思うんだけど、継続的にカウンセリングを受けるのにはお金がかかるし、なぜ被害者の自分がお金を出さなくちゃいけないんだろう、と途方に暮れる)。

でも、彼ら(キム氏・園氏)に対して私が持っていた希望は実は幻想でしかなかった。芸術って方便を使って、彼らは性加害に及んでいた。「自分と性行為をすれば、映画に出す」と言ったり、「自分と性行為をすることで、映画の役に立つ/映画でもっと綺麗に映ることができる」と言ったり、予告もせず同意も取らないで性的なシーンを撮ったりして。

彼らの生い立ちについても読んだことがあって、特にそれぞれのお父さんとの関係について、彼らも心の傷を抱えていたんだと感じている(そのことも、彼らの作品に私が共感していた理由だった)。でもその傷は、他の人に加害することを正当化する理由にはならないんだよ…。

私が本当にがっかりすることは、私も彼らの作品を観ることで、嫌な思いをして演技をしてた女性たちを、知らないうちに「消費」しちゃってたことだ。

同意や配慮なく撮られた性的なシーンを観客が観続けるということは、それだけでその出演俳優にとって苦痛だと思う。
さらに、加害の上につくられた作品が多くの人に観られ続けると、加害者である監督やプロデューサー達が高い評価を得続けることになり、彼らはますます権力を持って、「芸術」の名の下の性暴力がますます止められなくなる。

私は、誰の尊厳も傷つけられずにつくられた作品が観たい。
作り手や受け手の心の安全に配慮することと、面白い作品をつくることは、両立できるはずだ。

作品にかかわる人みんな(特に権力を持っている人)が、「自分のすることが加害になってしまうかもしれない」と危機感を持って、何が加害になるかちゃんと知識を持っていれば(というか、本来そういう意識がなかったら作品をつくるべきじゃないと思う)。


どうしたら、配慮してものづくりをしてる人を応援できるかな…と考えて、「性暴力の加害者であるスタッフ・演者がかかわっている映画を観ないようにする」っていうのを、できる範囲で(情報が調べられる範囲で)実践してる。

私が使っているのは、Rotten Applesというサイト(前にTwitterでこれを紹介してくれている人がいた)。

therottenappl.es


作品名を英語で入力すると、その作品のスタッフや演者に、性暴力で告発された人がいるかどうか表示される。

therottenappl.es

↑たとえばこれは、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を調べた結果。「rotten apples(腐ったリンゴ)」と赤い文字で表示され(スタッフや演者に性加害者がいるとき、この文字が表示される)、監督とプロデューサーが加害者であることが表示されている。彼らの名前をクリックすると、彼らの性加害について詳細を知ることができる記事に飛ぶ。

therottenappl.es ↑『燃ゆる女の肖像』を調べた結果、映画のスタッフ・演者に性暴力加害者がいないという意味の「fresh apples(新鮮なリンゴ)」という文字が黄緑色で表示された。

 

取り扱われているのは主に英語の作品だけど、最近、映画を観る前はなるべくこれをチェックするようにしている。調べ始めると、性加害者のスタッフや演者があまりに多いことに驚き、「演者にとっても安全につくられた作品だけを観ようと思うと、世の中のほとんどの作品が観られなくなっちゃうんじゃないか?」とすら思う。でも、「観たい気持ちを通す権利」よりも、「出演者の、心の安全を踏みにじられてつらかった気持ちをこれ以上繰り返さないこと」を大事にしたい。どう考えてもそれは「観たい気持ち」より大事だ、本来そういう作品は、世に出るべきじゃなかったはずだから。

ーー-

「恋愛」あるいは「芸術」のフリをした性暴力の問題について、映画やドラマを通じて世間に伝えようとしても、実写の場合は演じる役者さんの心を守るのが難しい部分もあると思うから(演じることで暴力シーンを疑似体験することになり、トラウマになってしまったり)、架空のキャラクターでそれが実現できるってとこに、マンガ表現の可能性を感じたりもしている。

マンガそのものの中身についてあまり書けなくて残念。

少女像のモデルになった紫と主人公(茜)の中学生時代のエピソードで好きなところの話とか(茜が口にする自虐ギャグを、紫は真面目に・しかも茜がみじめにならない形で、否定してくれて、そのことを大人になってからも茜は覚えてるの…涙)、理解あるようで実は自分のつらさの本質を見てくれてないパートナーってきついよね…とか、思うとこもろもろあるのだけど…。
長くなりすぎちゃったので終わる…。

とにかく、今追うべきマンガだと思うので、親愛なる読者の皆々様、ぜひ。