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北朝鮮に行った素人スパイの話と、女性たちについて思うこと:映画『THE MOLE(ザ・モール)』の感想

THE MOLE ザ・モール [DVD]

元料理人で、現在は福祉の(たぶん経済的な)サポートを受けているコペンハーゲン在住の男性、ウルリク。彼が、個人的に始めた(!)北朝鮮への素人スパイ活動の行く先を収めた、ドキュメンタリー映画。映画評論家の町山智浩さんが前に勧めていて興味があった作品で、Netflixで配信され始めたので観る。ちなみにタイトルの「MOLE」は、「もぐら」、そこから転じて「スパイ」という意味。

あらすじ↓

すべての始まりは、ブリュガー監督のもとに届いた一通のメールだった。その送り主であるコペンハーゲン郊外在住の元料理人ウルリク・ラーセンは、謎に満ちた独裁国家北朝鮮の真実を暴くためのドキュメンタリーを作ってほしいという。ブリュガーは返答を濁したが、自らの意思でコペンハーゲン北朝鮮友好協会に潜入したウルリクはたちまち信頼を得て、協会内でスピード出世を果たしていった。そして北朝鮮ピョンヤンでKFA(朝鮮親善協会)会長のアレハンドロという怪しげなスペイン人と出会い、違法の投資ビジネスに深く関わっていくことに。ウルリクから報告を受けたブリュガーは、元フランス軍外人部隊の“ジム”という男に偽の石油王ミスター・ジェームズを演じさせ、陰ながらウルリクの潜入調査を指揮していく。やがて世界各国でアレハンドロ、北朝鮮の要人や武器商人らとの商談を重ねたウルリクとジェームズは、その巨大な闇取引の全貌を隠しカメラに収めていくのだった……。

公式サイトより引用)

人間がないがしろにされまくってて恐ろしいのに、詰めが甘かったり脇が甘かったりする、いびつな北朝鮮という国のおかしさが詰まってる映画だった(ミサイルなどが、まるでPCか何かみたいにスペックとともにカタログに載って北朝鮮によって販売されている場面なども映されていて、まったく面白がってる場合じゃないんだけども)。監督がたぶん皮肉が好きな人なんだろう、あちこち皮肉たっぷりの編集になってて、とびきり意地悪なつくりになっている。

町山さんも話されていたのだけど、北朝鮮側だけじゃなく、スパイ側も適当すぎてはらはらした。へたこいたらどう考えても命の危険があるというのに、ウルリクもミスター・ジェームズも下準備が甘すぎるのだ。たとえば、偽の石油王を演じようとしているのに、ミスター・ジェームズは自分が営んでいる(と偽っている)会社の名前すら決めていない!

それでもミスター・ジェームズは、かつて犯罪にかかわった経験もあるため(?)、悪事が進む場に慣れており、何気ない顔で窮地を乗り切っていく(映画の途中から、ウルリクよりも彼が主役のようになっていった)。

その何気なさが特につらかったのは、ある国のある島を、「病院をつくる準備をしている」と住民に嘘をついて、ミスター・ジェームズたちと北朝鮮側の人間とで視察するシーン。住民はそれを歓迎して、ダンスで客人を迎えるのだが、実際に進められていたのは武器製造工場の建設計画だった。ミスター・ジェームズは、子どもたちがサッカーを楽しむ広場をほほえみながら見物して、「この広場は、(武器をつくるための物資や、完成した武器を運搬するために使う)飛行場にするのにぴったりですね」と言ってのける。

これは偽物の計画だが、今まで同じようなことを言い放った悪人がたくさんいて、実際に潰されてしまった広場がたくさんあるのだろう。こんなにもビジネス然として人を殺す道具の売買が行われているのか…と呆気にとられた。「ふつうの」商談のように名刺が渡され、契約書が交わされ、冗談が飛び交う。

上に「ある国」と書いたけれど、そう、これは北朝鮮についてのドキュメンタリーだが、舞台は北朝鮮に留まらない。小説『テスカトリポカ』(←私が前にnoteに書いた感想はこちら)でも描かれていたけど、今の時代の「悪」にとって国境はほとんどかすかな存在なのだと、再認識させられた。北朝鮮のような「無法地帯」がそのままにされているのは偶然ではないのだと思う。そのままでいてほしいと願っている人たちがいるのだ。

というわけで、映画の内容はとてもスリリングで面白かったのだけど(何度も書くが、面白かった、で終わっちゃやばいとも思うのだけど)、私は途中から、ウルリクがあまりにも親としての自覚がないことに憤りを感じていた。ウルリクには子供がいるのだけど、妻にスパイ活動のことを黙ったまま、北朝鮮渡航したりする(命の危険があることはもちろん、少なくとも数日、当たり前のように家を空けてるということ)。(共同保育者である)妻にはなんの相談もなく、父親業を休むことができるということ…。
最近は、育児に主体的に参加してる男性もどんどん増えてると思う。世の中には、母親であることを放棄して、子供を置いていく女性だっている。そもそも世間で支配的な、「年中無休で親が自分で子育てをすべき(外部の助けを借りるのは「手抜き」)」って考え方に私は賛成できない。
でも、「無言で子供を置いて、親であることを休むこと」について、母親と父親が受けるバッシングの量の違いに、唖然とする。このアンバランスさ、なんなんだろう。

今、『母親になって後悔してる』という、母親として生きていくことにうんざりしている(←それは必ずしも「子供たちを捨てたい」という意味ではない)女性たちの証言をまとめた本を読んでいるのだけど、その中でこんなことを語っている女性もいた。

以前、夫に出て行かれた女性の記事を読んだのですが、その女性によると、こんなふうに出て行ったそうなんです。「彼は、捨てに行ってくる、とゴミを持ち出して、そのまま帰ってきませんでした」。私は、なぜかこのことが頭から離れなくて。考え続けてしまいます。もしも私がゴミを持ち出して、そのまま帰ってこなかったら、どうなっていただろう、と。でも、私には責任感があります。だからできない。それに、自分の行いに代償はつきものだと理解しています。〔……〕でも、このことは、何度も頭をよぎります。

〔中略。以降、著者による地の文〕

彼女たちの空想は、母というアイデンティティを完全に取り除き、誰の母親でもない女性に戻ることである。これまで見てきたように、この空想は実現不可能だ。子どもは「すでに存在する」ので、たとえ子どもを置き去りにしても、母であるという意識は留まり続ける。存在するという意識が、時には毎日、毎時、「誰の母でもない」ことを打ち消しにやってくるのである。

〔中略〕

一方で、父親の扱いは異なる。子どもから離れた男性もまた、社会から軽蔑されるかもしれないが、同じ立場の女性が直面するのと同等の凶暴な非難の対象にはならない。実際に、別居や離婚の後に家を出る父親は母親よりもはるかに多く、女性や男性、精神保健の専門家や弁護士を含む社会全体が、父親が親としての責任を免れて立ち去ることに、相対的に声を上げない場合が多い。

(『母親になって後悔してる』より引用。この本の感想も、いつか絶対書きたいです…。この本が世の中に残したものはすごく大きいと思う…。)

 

続けてジェンダー関係の話をすると、この映画に出てくる女性たちは「お飾り」として使われている人ばかりでとてもつらい。北朝鮮が、客人(ウルリクたち)を歓迎するために用意した歌や踊りや楽器のショーの演者たち、とあるアフリカの国でお酒を配る人たち、みんな女性なのだ…(そしてサービスを受ける人たちはみんな男性)。
(しかしこういうことについて、この映画の中で何か言及されることはなかったと思う。映画の中で、監督が前に北朝鮮に潜入して撮影したドキュメンタリーの引用シーンもちょこちょこ出てくるんだけど、そこに「北朝鮮を小ばかにする」体で北朝鮮の女性に英語で卑語を言わせるシーンがあって(女性たちは、自分たちが何を言わされているか理解できておらず、よくわからぬままにただリピートさせられているだけだった)、この監督は自身の女性差別的なところに全然意識が向いていないんだろうと感じた。)

北朝鮮を舞台にしたドラマ『愛の不時着』に出てくるチェロ弾きの女性・ダンさんのことが私は大好きなのだけれど、ダンさんみたいに演奏技術を磨いてきたであろう女性が、ただ「お飾り」として利用されていることが悲しかった…。どこの国に生まれた女性たちも、男性たち用のショーのためではなく、自分のために仕事ができるようになってほしい。

他に印象的だったことは、コペンハーゲン北朝鮮友好協会に所属している人は失業者の人が多い、ということだ。肩書きと称賛を得られることの心地よさからある組織にはまっていくという構造は、カルト教団のそれと似ている(カルト教団について知る上では、↓のエッセイマンガもおすすめ。あくまで、これはこの人一人の個人的な体験なのだ(カルト教団信者のすべてではない、全員のことではない)と認識して読む必要はあるとは思うけど、なるほど…と思う点がすごく多かった)。

フルタイムの仕事を持っていなくても、家族がいなくても、自分が周りから認められていると感じられる場が得られるようになることが、必要なんじゃないかなあ。例えば、週に半分だけ、自分が必要とされると感じられるようなバイトとかボランティアをするとか。うまく運用できたら、学校の教員や保育士みたいに、人手が足りなすぎて忙しすぎる職業の人の助けにもなるのでは(でも、きっと今の日本だと、バイトやボランティアが割に合わない責任や負担を負わされて、やりがい搾取されるだけになりそうだね。というかもうなってるところがあるね)。

 

『THE MOLE(ザ・モール)』の予告はこちら。

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