螘サンバカーニバル

けそのブログだよ

コンテンツ月記(令和四年、霜月)

f:id:arisam_queso:20221119215445j:image

(2020年にアルゼンチンはウシュアイアの国立公園で撮った写真。そんなに期待してた場所じゃなかったんだけど、最近また行きたいと一番思ってる場所はここである。広くていいんだよね…)

 

読んだもの、観たものを、書きなぐりのメモで記録します。完読できてないものも、書きたいことがあったらメモします。すでに長めのレビューを書いてるものや書く予定のものは、基本的に除いてます(…と言いながら、ここで書いてる感想も割と長いんだけど)。


ちなみに今期のドラマは、『ジャパニーズスタイル』と『自転車屋さんの高橋くん』は好みに合わず離脱してしまいまして、『エルピス』だけ追っています。『エルピス』面白いですね~、気になるところも、一部あるにはあるのだけど(記事の後半で詳述します)。
最近のドラマって配信でスピンオフやるのが流行ってる気がするんだけど、いつもはこういうスピンオフ作品って観ません(観たいものが渋滞してるから)。でも、『エルピス』のTVer限定スピンオフ『8人はテレビを見ない』は本編の謎解きに絡んでるかもしれないので観ています…ここでにおわされてることが怖いんだよね…(『エルピス』ご覧になってる方向けに、この記事の一番最後に、スピンオフの3話目までで「におわされてること」を書いておきます(ちなみに0話があるので、この記事を書いてる時点で公開されてるスピンオフは4本ある))。

 

…ということで例によって前書きがながーくなったけど、本編入ります!

 

==評価基準(特に記載したいときだけ)==
\(^o^)/ 乾杯。愛。最高の毒なり薬。
φ(..) 特別賞(今後思い出すだろうシーン有等)
==ココカラ==

 

 

映画

セデック・バレ(第一部太陽旗/第二部虹の橋)\(^o^)/

第二次世界大戦周辺の時代の、加害者としての日本の歴史をちゃんと知らないといけないよな…と最近特に思っていて、それで観た映画。台湾で起こった「霧社事件」を題材にした映画で、第一部・第二部をあわせると4時間36分あるのだけど、この長さはちゃんと必要で、そのすべてを観ないといけない作品だと思った。こういう歴史を無視しているから、W杯で気軽に旭日旗かかげちゃう人とか出てきちゃうんだから…。

あらすじ↓

台湾中部の山岳地帯に住む誇り高き狩猟民族・セデック族。その一集落を統べる頭目の息子モーナ・ルダオは村の内外に勇名をとどろかせていた。1895年、日清戦争で清が敗れると、彼らの暮らす山奥にも日本の統治が広がり、平穏な生活は奪われていく。それから35年、頭目となったモーナは依然として日々を耐え抜いていた。そんな中、日本人警察官とセデック族の一人が衝突したことをきっかけに、長らく押さえ込まれてきた住民たちが立ち上がり…。

『セデック・バレ』公式サイト第一部のあらすじより引用)

 

セデック族の人たちが長い時間をかけて築いてきた文化が、日本人によって乱暴に一方的に壊されていくさまは、衝撃的だった。こういうことを知らないで台湾を旅行していた自分をすごく恥ずかしく思った…。


観ていて一番残念だったことは、ここで描かれている日本人たち(警官とか軍人とか)の精神、ほとんど今もぜんぜん変わってないよね!!って点。家父長的で女を道具(よくてお人形さん)としか思ってないところや、現実を無視してお気持ちで事を進める感じが、ほんっと何も変わってない。

 

映画の中ではあまりにもひどい日本側の所業が描かれるんだけど、それでも事実をマイルドにして描かれているそう!!!

たとえば映画の中では描かれていないけど、日本側はセデック族の女性たちを無理やり売春宿に入れたりしていたらしい。

(まだ途中までしか読んでないんだけど、もともと学校で歴史を教えておられたという方がご自身で台湾に行って情報を収集したりしてまとめたというこの本↓(Kindle Unlimitedに入ってるよ)には、こうした事件の背景や事件後に起こったことが詳しく書いてある。ジェンダー的にうーんと思う記述も多いけど、本を読んで初めて知れたことも多い。たとえば、明治神宮入口の代鳥居は台湾の原木を運んで建てられているらしいということや(どんどん神社という存在が無理になっていく…!)、事件後原住民たちに「授産」(!?←つまり日本人が精子を提供してやるよありがたくはらめよってことですよね!?)なる施策が進められたことなど)

 

映画の話に戻って。

この作品の特に素晴らしいところは、セデック族の伝統的なあり方に疑問を持っていたセデック族の男性や、女性達には何も相談せず戦いに出て行く男性たちに憤っている女性たちの視点も入っているところ。セデックのコミュニティだって一枚岩じゃないんだよね。

(前にこの記事で感想を書いた小説『崩れゆく絆』と共通するところも多いと思った。)

セデック族のコミュニティに限らず、いろんなコミュニティがこういう複雑さを擁している。だからこそ、相手が「野蛮」だと単純なレッテルを張り、そのコミュニティの文化を無視して、武力で自分たちが「文明的」だと思う文化に捻じ曲げていっちゃう日本側のやり方に強い憤りを感じた(野蛮なのはあんたらだよ…)。戦争をしていなくても、現在の日本にはアジアの他の国の人を見下して差別したり排除したりする雰囲気が根強く残っていて、なんにも学んでなくて、本当に恥ずかしい。

真に「美しい国」にしたいならさー、こういう歴史こそ、学ばなきゃいけないじゃんよ…。

 

映画をつくり始めて3か月は出演者に報酬が払えなかったそうで、それは大変に問題だと思う。でも、台湾原住民としてのルーツを持つ人がほとんどのセデック族役の出演者たちが「それでも、この作品を世に出すことに意味がある」と思った、その重みを、日本で暮らす人ほど受け止めるべきだと思う。


(ちなみに出演者の人たちは、普段から山で暮らしているようにしか見えないものすごい身のこなしで、そこも見どころです…。山をがんがん走り抜けるところとか、たかーい木からぴょんぴょん飛び降りるところとか)

==

SKIN φ(..) 

マンガ家の藤見よいこさんがおすすめされていたので観た。実話を基にした話。

あらすじ↓

白人至上主義者に育てられ、スキンヘッドに差別主義者の象徴ともいえる無数のタトゥーを入れたブライオン。シングルマザーのジュリーと出会ったブライオンは、これまでの憎悪と暴力に満ちた自身の悪行の数々を悔い、新たな人生を始めようと決意する。しかし、かつての同志たちは脱会を許さず、ブライオンに執拗な脅迫や暴力を浴びせてくる。そして彼らの暴力の矛先はジュリーたちにも向き始める。

映画.comの作品紹介より引用)

ジェンダーや人種や階級や障害など…あらゆる差別に私は反対するし、差別主義者には差別をやめてほしい!と思う(とはいえ私も、知らない間に差別を内面化しているところがあちこちあるから高みの見物なんて絶対にできない。常に勉強しないといけない…)。

でもこの映画で描かれるのは「社会が居場所をつくらなかったから、居場所を求めて差別主義者のもとへ向かう人がいる」ということ、そして、「差別主義者が差別をやめるためには、その人たちが新しい人生を歩むことを助ける人が必要だ」ということ(前に『ヤクザと家族』を観たときも、近い感想を持った)。「差別反対!」と叫ぶだけでは、差別をやめると決めた人がいる場所をつくらなければ、差別はなくすことができないということ。『ヤクザと家族』でも描かれていたことにも共通するけど、元差別主義者には味方がほとんどいない。住む場所も仕事も、求めても断られることが多い。やり直す道を絶たれた人は、また差別主義者(だったり、ヤクザだったり)に戻っていくしかない。


映画には、白人至上主義者のグループメンバーに、「グループから抜けるなら手助けするぞ」と声をかけ続ける黒人男性(ダリル・L・ジェンキンス。この人も実在する)が出てくる。「この声かけ、意味あるか!?だってこのグループの人たち、筋金入りの差別主義者なんだよ!?めちゃくちゃ身の危険もあるじゃん!」と、観ているだけでもハラハラしたんだけど、こういう、敵対するような人のことも信じようと思い続ける人がいるから、少しずつでも変わることがあるんだなと…感銘を受けた。

 

作中ブライオンが新しい人生を歩むために必要な資金・500万円くらい?を匿名で提供する人が現れるんだけど、なんていいお金の使い方なのだろうか…!こういうことにお金を使いたいよね、そのために早くお金持ちになりたいよね、と心底思った…!

 

マンガ

ブスなんて言わないで(1~2巻) φ(..)

ルッキズムについて考える上で、めちゃくちゃおすすめのマンガ。あらすじ。

「ブス」と言われ、学生時代にいじめを受けていた知子。大人になった彼女は、自分をいじめていた“美人”の同級生・梨花が美容家として成功していることを知り、怒りに震える。知子は、梨花への復讐を決意する――。

コミックDAYSの作品紹介より引用)

「ブス」と言われながら生きてきた女性、美人として相手に勝手にイメージをつくりあげられたり相手の自虐を受け止めながら生きてきた女性、低身長についてとやかく言われてきた男性、「ブス」キャラで仕事がもらえなくなってきた女性芸人…など、いろんな人が出てくる。

(特に「ブス」キャラの女性芸人について、「今のテレビでは正面からブスと呼ばれなくなってはきているけど、結局ブス扱いを匂わせる言動でいじられてるよね。それって差別が隠されただけで本質的な問題がなくなったわけじゃないよね!?」って指摘するところは…刺さった…。最近M-1にそなえて(?)よくお笑いを観ているけど、女性芸人が「ブス」とか「モテない」とかじゃないところで笑いをとって楽しそうにやってるネタが増えてきているように思って、私はそれがすっごくすっごく嬉しい。最近観て好きだったネタたち↓)

youtu.be

(私オダウエダをこのネタで知ったんだけど、この人たちの小道具遣いがめちゃくちゃ好き(他の芸人さんたちについても、私はM-1(予選)よりもこのTHEUでやってるネタのほうが好みだったので、皆様もよかったらいくつか動画を観てみてください。にしても、女性審査員によるこういう企画がもっとほしいよなー)。そしてこのネタ、母方のおばあちゃんのおこづかいはなぜ安いのかについて、実は結構暗い問題が横たわってるよねと思う内容ではある…)

 

youtu.be

(↑スパイクの二人の会話がよすぎる…私は女の人たちによる愉快な会話が大好き…)

 

マンガの話に戻って。

この作品を読んで一番ずしーんと残ったのは、今は批判の対象として話題になることが多いミスコンや、雑誌のモテファッション(モテメイク)特集が、女性たちが自分の身体(や美)を自分のものとして取り戻す過程にあったものなんだなということ。それらが始まる前には、女性たちが自分のことを「美しい」と思うことも禁じられてて(初期の美人コンテストでは、入賞した女性がなんと退学処分になることもあったとか!)、女性がモテたいと自分から言い出すことも許されなかった。

 

くそみたいな世界だけど、ゆっくりでも前進はしていってるところもあるから、引き続きほんの少しずつでもがんばっていくぞと、そう思える内容だった(あと、出てくる人たちがかわいいところ・愉快なところがある人が多くて、好き。友達になりたい人が多い)。続きも楽しみ。

==

花井沢町公民館便り(1~3巻) φ(..) 

わたしたちの町・花井沢町は、
あるシェルター技術の開発事故に巻き込まれ、
外界から隔離されている。
ここは、いずれ滅びることが約束された町。
その町で、わたしたちは今日も生きている。

アフタヌーン公式サイト『花井沢超公民館便り』紹介ページより引用)

『違国日記』のヤマシタトモコさんによる、外から誰も入れない・中の人は誰も外に出られなくなった町の数十年の足取りを描くSF。人と同じように、町(というか、場所)が存在感を放っている作品で、そこも印象的。ちなみに完結済みの作品です。

 

「ヤマシタさんのよさはSFじゃないほうが出るね」と一緒に読んだ私の恋人は言ってて、私もそれには同意するんだけど、思考実験として読むと面白いマンガだった。

人間が分業して社会をつくっている、これはどういうことなのか?

(今の日本の警察にももちろんいろんな問題はあるわけなんだけども…)警察が機能せず、自警団しか存在しないとどういうことが起こりうるか?

小さなコミュニティの中で、罪を犯した人が裁かれるということはどういうことなのか?
図書館や記録というのは人間にとって何なのか(それは必ずしも「善」なのか)?

人間にとって文化とは何か?

社会が終わる予感があっても、子供を産みたいと思う人間はいるだろうか?

 

…等々、あったかもしれない日本を舞台に描かれて、いろいろぐるぐる考えた。

住む場所を選ぶことができる自由、育ったところから離れて生きていくことができる自由というのは、とてつもなく大切なものだぞと思ったり…。

道路というのは補修されているからこそいつもあんなに平なのだねということにも、気づかされる。インフラは「いつもどおり」が当たり前なように誰かが整備しているのだ、と。

今、経済のよくわかってないこと(=つまりほとんどすべて…)を勉強し直そうねキャンペーンを個人的にしてて、この本↓を読んでるんだけど、

(すぐ東大生を看板にもってくる感じがうざいが笑、たしかにわかりやすい本。税金が社会保障の財源になるということはほぼ嘘である、ってこととか、政治家の話してることの真偽を見極めるための知識が身につきます)

↑の中では「公共事業」とか「公務員」とかが必要なのかがわかりやすく描かれてて、それがない世界がどうなっちゃうかリアルに想像するのに『花井沢町…』は最適だな…と思う。

 

狭いコミュニティの中の性加害・被害についても描かれているんだけど、登場する人物の属性が「ヤマシタさんだなあ…」という多様な感じで、倫理観を信用できる作者さんはまじで貴重だよと改めて思った。ヤマシタさんの描く世界はいつも複雑で丁寧で、だから好き。

==

 

コンテンツ月記の本編は、ここまで。

 

=以下、『8人はテレビを見ない』(~3話目)で「におわされていること」のメモ=

『8人はテレビを見ない』(「『観』ない」じゃなくて、「『見』ない」なのが、このスピンオフのテーマっぽいなって思います。集中してテレビを観ることはそもそもけっしてなくて、もはや流し見もしない、という意味なのかなと…)は、たぶん『エルピス』と同じ時代を生きてるっぽいけど、直接は『エルピス』と関係ない、っていう若者8人のシェアハウスの様子を描いた、コメディタッチの作品です。が、ところどころ、シリアスな本編にからんでくるような「におわせ」がさしはさまっています…。

 

<1話のにおわせ>

・シェアハウスの中の一人が、肉じゃがをつくろうと途中まで準備をしてた鍋を台所に置きっぱなしにしていたところ、他の住人がその中身をカレーにしちゃってた。

松本死刑囚の行動を再現すると、10分でカレーを作れるわけない、だから彼は無罪なんじゃないか?というのが本編の内容だったけど、もし彼が肉じゃがを途中まで作って準備してたとしたら、すぐにカレー、作れるんじゃね…?

 

・ケーキは上から見ただけだったら、崩れてるかどうかわからないという会話が出てくる。

→チェリーさんに見せたのは崩れたケーキの「上から」だけで、もしかしたら食べさせるために出したのは(あらかじめ買っておいた)ホールケーキの一部とか?

(エンディングでも、ホールケーキの一部が切り取られている)

 

<2話のにおわせ>

・行動や身体的特徴等が似ていることの理由を「家族だから」に結びつける住人に対し、そうとは限らないと反論する住人(家族でなくても似ている部分がある人・似ている行動をする人はいる、と話す住人)がいた。

→事件の捜査か、浅川・岸本の取材の過程で、「家族だから似ている」と断定された部分について誤解だった点があった…?

 

この記事の前半のほうで書いた、この作品の「気になる点」は、『ヒヤマケンタロウの妊娠』の作者の坂井恵理さんが指摘されていた点。

スピンオフを観ると、もしかしたら松本さんは、殺人をしていないとしても何かの犯罪に手を染めている可能性もあるな…と思います…。

(最後に坂井さんはこうも書かれています↓)

3話は、本編のセリフへのオマージュだけだったように思ったけど、あとで見返したらもしかしたら何かが仕込まれているのかなあ…。