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「女性ならではの感性」なるフレーズ、絶滅希望委員会:『女が死ぬ』の感想

今月後半は、新しいアルバイトを始めて、新しい人に会ったり新しいことを覚えたり、ちょっとぐったりしています。
ブログ、しばらくはこんな感じの更新頻度になっちゃいそうですが、皆様におすすめしたいものはたくさんたくさんあるので、ちょっとずつでもがんばりたいと思います…。

女が死ぬ (中公文庫)


さて、今回ご紹介するこの本。作者の松田青子さんのエッセイは読んだことがあって、すごく好きだったので(『自分で名付ける』。前にnoteに感想書いたのでご興味ある方はこちらもぜひ)、ずっと小説も読みたくてやっと読んだ(というか、読んでいるところである)。

今年限定で設けられてる文藝賞の「短篇部門」の審査員を松田さんが担当されるそうで、松田さんに読んでもらえる可能性があるならそりゃーもう何かしら出さねば!と考え、その参考としたい気持ちもあって。


まだ半分も読み終えられてないんだけど、特にフェミニストの人(女だけが良ければいいとか女を優先してほしいって思ってる人じゃないよ、女がスタートラインにも立ててないのおかしくない?女に聖人であること求めてくるのおかしくない?って思ってる人のこと)におすすめすぎる、皮肉が効いた短編集なので、私の気持ちがフレッシュなうちにぜひ紹介したかった。短いものは3行とかで終わるので、時間や気持ちに余裕がない人も、ぱらぱら見てみて、すぐに読めそうなところから読んでみることができる本。

 

私がこれまで読んだ中で特に好きな短編3本の、一部を引く。このブログを読んでくださってる方の中にも「これは最高だね!」って思ってくれる方がいると思うから。

 

あなたの好きな少女が嫌いだ。あなたの好きな少女は細くて、可憐で、はかなげだ。間違っても、がははと笑ったりはしない。がははと笑うような少女をあなたは軽蔑している。というか、それはもうあなたにとっては少女ではない。では、がははと笑う少女はどこに行けばいいのか。

「あなたの好きな少女が嫌い」より引用


妖精みたいで、別世界の生き物みたいな、ミステリアスで繊細な女の子。
物語に出てくるこういう女の子、私も好きです。
現実にも、そういう子はいる、もちろんいるんだけど。
やっぱりそういう女の子「ばっかり」が物語に登場することはおかしいと、最近特に思う。

胸が大きい女性についても、美人な女性についても、優しい女性についても、世話好きな女性についても、同じことを思う。

そういう女性はたしかにいる。でも、それはすべての女性にあてはまることじゃない。そういう女性ばっかりが物語に出てくること、さらにすべての女性に「美しく、性的で、優しくあってほしい」と世間が期待するようになっちゃうことは、どう考えてもおかしい。


今日からアマプラで観始めたイギリスのドラマ、『Fleabag』は、まさにそういう「清く正しく美しい」一辺倒の女性像は蹴っ飛ばしていくぞ!という気概を感じる作品(日本でも、こういうドラマもっとつくられてほしいなあ。最近心が震えたドラマは、海外のものばっかり。日本で「挑戦的な作品」と言われるものは、ほとんど過激な性描写が売りのものだと感じる)。

しょっちゅう人の物を盗み、適当な商売をし、気軽にいろんな人と性交渉をし、酔っぱらって人に迷惑をかけまくる女性が主人公で、観ているとスカッとする気持ちと不安になる気持ち(この女性が、このあと嫌なバッシングを受けて打ちのめされたりしないだろうか…と)が同時に訪れる。一緒に観ていた恋人(男性)は、「こういう破天荒な主人公、男性だったらいっぱいいるのにね」って言ってて、私もほんとにそう思う。型破りそうな「強い」女性主人公だったら時々見かけるけど、そういう人も結局「正しい」人ばっかりなんだよね。それは、女性に母性を期待することから結局自由になれていないと感じる…。

第1話

第1話

  • フィービー・ウォーラー=ブリッジ
Amazon

(↑私はこの作品を、シネマンドレイクさんのブログ記事で知りました。面白い作品をたっぷり丁寧に紹介してくださるシネマンドレイクさんに感謝…)

短編集の、好きだった個所を引用する話に戻る。

男性ライターが男性ならではの感性で提案した男性向けの新商品は、世間に驚きをもって迎えられた。男性ならではの感性で開発された商品だとネットや雑誌でも次々と紹介され、まずまずどころではない話題性を生み出し、まずまずどころではない売り上げを記録したのである。世の男性という男性が、こぞって男性ライターの開発した商品を買いに走った。社会現象とも言える大ヒットに一番驚いたのは、ほかでもない、男性ライター自身であった。

 

「男性ならではの感性」より引用

世間で当たり前のように行われている、「女性」を持ち上げる仕草を男性に置き換えるとどんなにおかしいか、じっくりしつこく書いた本。松田さんの怒りが詰まっていて、がはは笑いが止まらなかった(←私は、「あなたの好きな少女」ではないから)。

この話が好きな人、あるいは逆にこの話の意味がよくわからなかった人には、映画『軽い男じゃないのよ』を強くおすすめしたい!(←これについても、前にnoteに感想書いたのでご関心ある方はぜひ)

 

女が死ぬ。彼が悲しむために死ぬ。彼が苦しむために死ぬ。彼が宿命を負うために死ぬ。彼がダークサイドに落ちるために死ぬ。彼が慟哭するために死ぬ。元気に打ちひしがれる彼の横で、彼女はもの言わず横たわる。彼のために、彼女が死ぬ。我々はそれを見る。我々はそれを読む。我々はそれを知る。

「女が死ぬ」より引用


最近、いろんな作品を観て「この点以外は、よかったんだけどなあ…」と思うとき、「この点」のほとんどが、「女性が犠牲になったり、(異性愛者の男性のための)ご褒美として配置されていること」だ。そのことが冒頭からぷんぷん匂っていて、そもそも作品を観たり読んだりするのを途中でやめてしまうことも増えた。これ以上、女性が「アイテム」あるいは「踏み台」として扱われることに耐えられない。そういう物語は、もう十分すぎるほどたくさんある。これ以上いらない。

男性たちが友情を深めるシーンに、「エロい女性」が頻繁に使われることにも、ほんとうにうんざりしている(例えば知り合いの女性のうち誰がエロいと感じるか話すことや、同じAVを観ること、エロ写真を共有することなど)。心を開きあう方法、もっとほかにあるだろう!

 

「女が死ぬ」は、ラストもとってもクールで、ちょっと泣きそうになってしまった。


美女でもか弱くもなく、お世辞が言えない(言いたくない)すべての女たち~~

それでもしぶとく生きていこうぜ!!!!