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北朝鮮に行った素人スパイの話と、女性たちについて思うこと:映画『THE MOLE(ザ・モール)』の感想

THE MOLE ザ・モール [DVD]

元料理人で、現在は福祉の(たぶん経済的な)サポートを受けているコペンハーゲン在住の男性、ウルリク。彼が、個人的に始めた(!)北朝鮮への素人スパイ活動の行く先を収めた、ドキュメンタリー映画。映画評論家の町山智浩さんが前に勧めていて興味があった作品で、Netflixで配信され始めたので観る。ちなみにタイトルの「MOLE」は、「もぐら」、そこから転じて「スパイ」という意味。

あらすじ↓

すべての始まりは、ブリュガー監督のもとに届いた一通のメールだった。その送り主であるコペンハーゲン郊外在住の元料理人ウルリク・ラーセンは、謎に満ちた独裁国家北朝鮮の真実を暴くためのドキュメンタリーを作ってほしいという。ブリュガーは返答を濁したが、自らの意思でコペンハーゲン北朝鮮友好協会に潜入したウルリクはたちまち信頼を得て、協会内でスピード出世を果たしていった。そして北朝鮮ピョンヤンでKFA(朝鮮親善協会)会長のアレハンドロという怪しげなスペイン人と出会い、違法の投資ビジネスに深く関わっていくことに。ウルリクから報告を受けたブリュガーは、元フランス軍外人部隊の“ジム”という男に偽の石油王ミスター・ジェームズを演じさせ、陰ながらウルリクの潜入調査を指揮していく。やがて世界各国でアレハンドロ、北朝鮮の要人や武器商人らとの商談を重ねたウルリクとジェームズは、その巨大な闇取引の全貌を隠しカメラに収めていくのだった……。

公式サイトより引用)

人間がないがしろにされまくってて恐ろしいのに、詰めが甘かったり脇が甘かったりする、いびつな北朝鮮という国のおかしさが詰まってる映画だった(ミサイルなどが、まるでPCか何かみたいにスペックとともにカタログに載って北朝鮮によって販売されている場面なども映されていて、まったく面白がってる場合じゃないんだけども)。監督がたぶん皮肉が好きな人なんだろう、あちこち皮肉たっぷりの編集になってて、とびきり意地悪なつくりになっている。

町山さんも話されていたのだけど、北朝鮮側だけじゃなく、スパイ側も適当すぎてはらはらした。へたこいたらどう考えても命の危険があるというのに、ウルリクもミスター・ジェームズも下準備が甘すぎるのだ。たとえば、偽の石油王を演じようとしているのに、ミスター・ジェームズは自分が営んでいる(と偽っている)会社の名前すら決めていない!

それでもミスター・ジェームズは、かつて犯罪にかかわった経験もあるため(?)、悪事が進む場に慣れており、何気ない顔で窮地を乗り切っていく(映画の途中から、ウルリクよりも彼が主役のようになっていった)。

その何気なさが特につらかったのは、ある国のある島を、「病院をつくる準備をしている」と住民に嘘をついて、ミスター・ジェームズたちと北朝鮮側の人間とで視察するシーン。住民はそれを歓迎して、ダンスで客人を迎えるのだが、実際に進められていたのは武器製造工場の建設計画だった。ミスター・ジェームズは、子どもたちがサッカーを楽しむ広場をほほえみながら見物して、「この広場は、(武器をつくるための物資や、完成した武器を運搬するために使う)飛行場にするのにぴったりですね」と言ってのける。

これは偽物の計画だが、今まで同じようなことを言い放った悪人がたくさんいて、実際に潰されてしまった広場がたくさんあるのだろう。こんなにもビジネス然として人を殺す道具の売買が行われているのか…と呆気にとられた。「ふつうの」商談のように名刺が渡され、契約書が交わされ、冗談が飛び交う。

上に「ある国」と書いたけれど、そう、これは北朝鮮についてのドキュメンタリーだが、舞台は北朝鮮に留まらない。小説『テスカトリポカ』(←私が前にnoteに書いた感想はこちら)でも描かれていたけど、今の時代の「悪」にとって国境はほとんどかすかな存在なのだと、再認識させられた。北朝鮮のような「無法地帯」がそのままにされているのは偶然ではないのだと思う。そのままでいてほしいと願っている人たちがいるのだ。

というわけで、映画の内容はとてもスリリングで面白かったのだけど(何度も書くが、面白かった、で終わっちゃやばいとも思うのだけど)、私は途中から、ウルリクがあまりにも親としての自覚がないことに憤りを感じていた。ウルリクには子供がいるのだけど、妻にスパイ活動のことを黙ったまま、北朝鮮渡航したりする(命の危険があることはもちろん、少なくとも数日、当たり前のように家を空けてるということ)。(共同保育者である)妻にはなんの相談もなく、父親業を休むことができるということ…。
最近は、育児に主体的に参加してる男性もどんどん増えてると思う。世の中には、母親であることを放棄して、子供を置いていく女性だっている。そもそも世間で支配的な、「年中無休で親が自分で子育てをすべき(外部の助けを借りるのは「手抜き」)」って考え方に私は賛成できない。
でも、「無言で子供を置いて、親であることを休むこと」について、母親と父親が受けるバッシングの量の違いに、唖然とする。このアンバランスさ、なんなんだろう。

今、『母親になって後悔してる』という、母親として生きていくことにうんざりしている(←それは必ずしも「子供たちを捨てたい」という意味ではない)女性たちの証言をまとめた本を読んでいるのだけど、その中でこんなことを語っている女性もいた。

以前、夫に出て行かれた女性の記事を読んだのですが、その女性によると、こんなふうに出て行ったそうなんです。「彼は、捨てに行ってくる、とゴミを持ち出して、そのまま帰ってきませんでした」。私は、なぜかこのことが頭から離れなくて。考え続けてしまいます。もしも私がゴミを持ち出して、そのまま帰ってこなかったら、どうなっていただろう、と。でも、私には責任感があります。だからできない。それに、自分の行いに代償はつきものだと理解しています。〔……〕でも、このことは、何度も頭をよぎります。

〔中略。以降、著者による地の文〕

彼女たちの空想は、母というアイデンティティを完全に取り除き、誰の母親でもない女性に戻ることである。これまで見てきたように、この空想は実現不可能だ。子どもは「すでに存在する」ので、たとえ子どもを置き去りにしても、母であるという意識は留まり続ける。存在するという意識が、時には毎日、毎時、「誰の母でもない」ことを打ち消しにやってくるのである。

〔中略〕

一方で、父親の扱いは異なる。子どもから離れた男性もまた、社会から軽蔑されるかもしれないが、同じ立場の女性が直面するのと同等の凶暴な非難の対象にはならない。実際に、別居や離婚の後に家を出る父親は母親よりもはるかに多く、女性や男性、精神保健の専門家や弁護士を含む社会全体が、父親が親としての責任を免れて立ち去ることに、相対的に声を上げない場合が多い。

(『母親になって後悔してる』より引用。この本の感想も、いつか絶対書きたいです…。この本が世の中に残したものはすごく大きいと思う…。)

 

続けてジェンダー関係の話をすると、この映画に出てくる女性たちは「お飾り」として使われている人ばかりでとてもつらい。北朝鮮が、客人(ウルリクたち)を歓迎するために用意した歌や踊りや楽器のショーの演者たち、とあるアフリカの国でお酒を配る人たち、みんな女性なのだ…(そしてサービスを受ける人たちはみんな男性)。
(しかしこういうことについて、この映画の中で何か言及されることはなかったと思う。映画の中で、監督が前に北朝鮮に潜入して撮影したドキュメンタリーの引用シーンもちょこちょこ出てくるんだけど、そこに「北朝鮮を小ばかにする」体で北朝鮮の女性に英語で卑語を言わせるシーンがあって(女性たちは、自分たちが何を言わされているか理解できておらず、よくわからぬままにただリピートさせられているだけだった)、この監督は自身の女性差別的なところに全然意識が向いていないんだろうと感じた。)

北朝鮮を舞台にしたドラマ『愛の不時着』に出てくるチェロ弾きの女性・ダンさんのことが私は大好きなのだけれど、ダンさんみたいに演奏技術を磨いてきたであろう女性が、ただ「お飾り」として利用されていることが悲しかった…。どこの国に生まれた女性たちも、男性たち用のショーのためではなく、自分のために仕事ができるようになってほしい。

他に印象的だったことは、コペンハーゲン北朝鮮友好協会に所属している人は失業者の人が多い、ということだ。肩書きと称賛を得られることの心地よさからある組織にはまっていくという構造は、カルト教団のそれと似ている(カルト教団について知る上では、↓のエッセイマンガもおすすめ。あくまで、これはこの人一人の個人的な体験なのだ(カルト教団信者のすべてではない、全員のことではない)と認識して読む必要はあるとは思うけど、なるほど…と思う点がすごく多かった)。

フルタイムの仕事を持っていなくても、家族がいなくても、自分が周りから認められていると感じられる場が得られるようになることが、必要なんじゃないかなあ。例えば、週に半分だけ、自分が必要とされると感じられるようなバイトとかボランティアをするとか。うまく運用できたら、学校の教員や保育士みたいに、人手が足りなすぎて忙しすぎる職業の人の助けにもなるのでは(でも、きっと今の日本だと、バイトやボランティアが割に合わない責任や負担を負わされて、やりがい搾取されるだけになりそうだね。というかもうなってるところがあるね)。

 

『THE MOLE(ザ・モール)』の予告はこちら。

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「女性ならではの感性」なるフレーズ、絶滅希望委員会:『女が死ぬ』の感想

今月後半は、新しいアルバイトを始めて、新しい人に会ったり新しいことを覚えたり、ちょっとぐったりしています。
ブログ、しばらくはこんな感じの更新頻度になっちゃいそうですが、皆様におすすめしたいものはたくさんたくさんあるので、ちょっとずつでもがんばりたいと思います…。

女が死ぬ (中公文庫)


さて、今回ご紹介するこの本。作者の松田青子さんのエッセイは読んだことがあって、すごく好きだったので(『自分で名付ける』。前にnoteに感想書いたのでご興味ある方はこちらもぜひ)、ずっと小説も読みたくてやっと読んだ(というか、読んでいるところである)。

今年限定で設けられてる文藝賞の「短篇部門」の審査員を松田さんが担当されるそうで、松田さんに読んでもらえる可能性があるならそりゃーもう何かしら出さねば!と考え、その参考としたい気持ちもあって。


まだ半分も読み終えられてないんだけど、特にフェミニストの人(女だけが良ければいいとか女を優先してほしいって思ってる人じゃないよ、女がスタートラインにも立ててないのおかしくない?女に聖人であること求めてくるのおかしくない?って思ってる人のこと)におすすめすぎる、皮肉が効いた短編集なので、私の気持ちがフレッシュなうちにぜひ紹介したかった。短いものは3行とかで終わるので、時間や気持ちに余裕がない人も、ぱらぱら見てみて、すぐに読めそうなところから読んでみることができる本。

 

私がこれまで読んだ中で特に好きな短編3本の、一部を引く。このブログを読んでくださってる方の中にも「これは最高だね!」って思ってくれる方がいると思うから。

 

あなたの好きな少女が嫌いだ。あなたの好きな少女は細くて、可憐で、はかなげだ。間違っても、がははと笑ったりはしない。がははと笑うような少女をあなたは軽蔑している。というか、それはもうあなたにとっては少女ではない。では、がははと笑う少女はどこに行けばいいのか。

「あなたの好きな少女が嫌い」より引用


妖精みたいで、別世界の生き物みたいな、ミステリアスで繊細な女の子。
物語に出てくるこういう女の子、私も好きです。
現実にも、そういう子はいる、もちろんいるんだけど。
やっぱりそういう女の子「ばっかり」が物語に登場することはおかしいと、最近特に思う。

胸が大きい女性についても、美人な女性についても、優しい女性についても、世話好きな女性についても、同じことを思う。

そういう女性はたしかにいる。でも、それはすべての女性にあてはまることじゃない。そういう女性ばっかりが物語に出てくること、さらにすべての女性に「美しく、性的で、優しくあってほしい」と世間が期待するようになっちゃうことは、どう考えてもおかしい。


今日からアマプラで観始めたイギリスのドラマ、『Fleabag』は、まさにそういう「清く正しく美しい」一辺倒の女性像は蹴っ飛ばしていくぞ!という気概を感じる作品(日本でも、こういうドラマもっとつくられてほしいなあ。最近心が震えたドラマは、海外のものばっかり。日本で「挑戦的な作品」と言われるものは、ほとんど過激な性描写が売りのものだと感じる)。

しょっちゅう人の物を盗み、適当な商売をし、気軽にいろんな人と性交渉をし、酔っぱらって人に迷惑をかけまくる女性が主人公で、観ているとスカッとする気持ちと不安になる気持ち(この女性が、このあと嫌なバッシングを受けて打ちのめされたりしないだろうか…と)が同時に訪れる。一緒に観ていた恋人(男性)は、「こういう破天荒な主人公、男性だったらいっぱいいるのにね」って言ってて、私もほんとにそう思う。型破りそうな「強い」女性主人公だったら時々見かけるけど、そういう人も結局「正しい」人ばっかりなんだよね。それは、女性に母性を期待することから結局自由になれていないと感じる…。

第1話

第1話

  • フィービー・ウォーラー=ブリッジ
Amazon

(↑私はこの作品を、シネマンドレイクさんのブログ記事で知りました。面白い作品をたっぷり丁寧に紹介してくださるシネマンドレイクさんに感謝…)

短編集の、好きだった個所を引用する話に戻る。

男性ライターが男性ならではの感性で提案した男性向けの新商品は、世間に驚きをもって迎えられた。男性ならではの感性で開発された商品だとネットや雑誌でも次々と紹介され、まずまずどころではない話題性を生み出し、まずまずどころではない売り上げを記録したのである。世の男性という男性が、こぞって男性ライターの開発した商品を買いに走った。社会現象とも言える大ヒットに一番驚いたのは、ほかでもない、男性ライター自身であった。

 

「男性ならではの感性」より引用

世間で当たり前のように行われている、「女性」を持ち上げる仕草を男性に置き換えるとどんなにおかしいか、じっくりしつこく書いた本。松田さんの怒りが詰まっていて、がはは笑いが止まらなかった(←私は、「あなたの好きな少女」ではないから)。

この話が好きな人、あるいは逆にこの話の意味がよくわからなかった人には、映画『軽い男じゃないのよ』を強くおすすめしたい!(←これについても、前にnoteに感想書いたのでご関心ある方はぜひ)

 

女が死ぬ。彼が悲しむために死ぬ。彼が苦しむために死ぬ。彼が宿命を負うために死ぬ。彼がダークサイドに落ちるために死ぬ。彼が慟哭するために死ぬ。元気に打ちひしがれる彼の横で、彼女はもの言わず横たわる。彼のために、彼女が死ぬ。我々はそれを見る。我々はそれを読む。我々はそれを知る。

「女が死ぬ」より引用


最近、いろんな作品を観て「この点以外は、よかったんだけどなあ…」と思うとき、「この点」のほとんどが、「女性が犠牲になったり、(異性愛者の男性のための)ご褒美として配置されていること」だ。そのことが冒頭からぷんぷん匂っていて、そもそも作品を観たり読んだりするのを途中でやめてしまうことも増えた。これ以上、女性が「アイテム」あるいは「踏み台」として扱われることに耐えられない。そういう物語は、もう十分すぎるほどたくさんある。これ以上いらない。

男性たちが友情を深めるシーンに、「エロい女性」が頻繁に使われることにも、ほんとうにうんざりしている(例えば知り合いの女性のうち誰がエロいと感じるか話すことや、同じAVを観ること、エロ写真を共有することなど)。心を開きあう方法、もっとほかにあるだろう!

 

「女が死ぬ」は、ラストもとってもクールで、ちょっと泣きそうになってしまった。


美女でもか弱くもなく、お世辞が言えない(言いたくない)すべての女たち~~

それでもしぶとく生きていこうぜ!!!!

 

少年犯罪者の共通点:ドラマ『未成年裁判』の感想

 

Twitterで、「今まで観たドラマで一番面白かった」と書いてる人がいたので、Netflixで韓国ドラマ『未成年裁判』を観た。

チャ判事(上の画像の、左の男性。演じているのはキム・ムヨルさん)があまりにも好みど真ん中で、チャ判事が出てくるたびに嬉しかった…。キム・ムヨルさんが、この髪型でたたずまい(服もいつもかわいい)で性格であることがツボだったんですわ…。


…ということは置いておいて。

内容はというと、「今までのドラマで一番」かというと、うーん…だけど、面白かった。時々演出が冗長なところがあるんだけど、俳優陣の素晴らしい演技によってそこはあまり気にならなくなってくると思う。観終わってからしばらく経った今でも、この作品で描かれていたことについて時々考える。

観ている間、自分の価値観がゆさぶられる瞬間が何回もあった。本作を完走した暁には、「犯罪に走るような青少年はろくでもない。少年犯罪は厳罰化すべき」と考えることも、「罪を犯すことがあっても、どんな青少年もみんな綺麗な心を持ってるはずだ」と考えることも、どちらも極端だということがずっしりと感じられると思う。

特によかったのが、罪を犯した少女たちが(更生を目指して)集団で生活しているセンターの事情を描いた第4話。どんでん返し満載で、罪を犯した子供たちに寄り添う人の複雑な苦悩が描かれている。

この話に出てくるセンター長のように、人間同士の関係が特に大事になる仕事(教育とか福祉とか医療とかの分野が多い)に就いている人って、だいたい自分の生活を犠牲にしている。
雇う人を倍に、働く時間を半分にして、せめて週の半分は自分の生活を優先できるようになったらいいのにな…といつも思っている。経済的な面でも、信頼関係を築く面でも難しいところは多いと思うんだけど、昼夜を問わず年中一生懸命心身を削りながら働き続ける生活を続けたら、誰でもいつかは潰れてしまうと思うんだ…。

6,7話で扱われる受験戦争の問題も、うーんとうなってしまった。
経済的に上向いてる国・トップの国って、大体受験戦争が激しい。
若者たちが、学校以外の時間もほとんど全部をつぎ込んで、受験対策してたりする。

こちらは、中国の受験戦争について書かれている記事↓

gendai.ismedia.jp


この間、こんなことをツイートされている方もいた。↓

10代の時間だっていつも人生の「本番」であって過程じゃないのになあ…って思う…。

何に向かって生きてるんだろうって、わからなくなっちゃうこともありそうだよ…。

国の経済が停滞するともちろんいろんな悪影響はあるんだけど、私たちは国を維持するために生きてるわけじゃない。若者としての時間や生活やエネルギーをこんなに削らないと国が維持できないんだとしたら、それは構造に問題があるんじゃないかな?テクノロジーがいろんな仕事を肩代わりしてくれるようになったのに、なんでまだ、こんな血みどろの努力をしないといけないんだろうね?

あとあと。私は、父親が絶対王政を敷いててしょっちゅう怒鳴られる家で育ったので、「親から様々な暴力を受けている子が安全に逃げられる保証がない」現実を描いていたところも、すっごく感情移入しながら観た。怒りと悔しさがぐるぐるした。うーん、やっぱりそれぞれの人の口座に入る形で(=世帯主とか「家長」に支給するって方法じゃなく)ベーシックインカム実施してほしいよ…!作中の登場人物も言ってたけど、公共サービスは24時間守ってくれるわけじゃないから、せめて誰もが自分で逃げられるように経済的援助くらいしてほしいよ!!

 

最後に、全体について印象に残った点。それは、「粗いステレオタイプを助長するような描写はしないぞ」って覚悟が感じられる内容だったところ。
ドラマ制作者の方(演出の方かな?)が、たしかインタビューで「作品をつくるにあたっていろんな少年犯罪の加害者たちに会ったけど、共通する特徴と言えるものはなかった。いろんな子たちがいた。いろんな子たちがいるんだということを描こうとした」というようなことを話されていたんだけど、そういう誠意が伝わってくる内容だった。

家がお金持ちだって、親が有名人だって(=そういう「恵まれてる環境にいる」と思われている子だって)、罪を犯すことはある。罪を犯す以外に道はないって思っちゃうような状況に追い込まれることもある。どうしてそこに追い込まれちゃったのかを考えないと、罪だけ重くしたって問題は解決しない。

日本でも、10代が加害者だったニュースでは特に「この子はどういう子だったのか?」って話題ばっかり報じられるけど、それらは「似ている特徴を持つ子は、危ないかもしれないから気をつけてね」ってメッセージを発信してしまっている気がする(というかそう意図しているのかもしれない)。排除は、恨みを生むだけだと思う。

 

(最後の最後に脱線。「少年犯罪者に共通点はない」の話について書いているとき、「ある集団に属する人たちは似てくるというけど、自分がいろんな集団の集合写真にまぎれこんで写ってみたら、それぞれの写真で違う『自分』みたいに見えるんだろうか?」っていうのを試していた現代アーティストの人がいたことを思い出した。あれは誰だったかな…。澤田知子さんじゃないか?と思ったけど違った。澤田知子さんは、髪型やメイクやしぐさを変えて、一人で何人もの人を演じた写真を作品としている方。一人で、学校の集合写真(教師含む)を10クラス分やってみたりとか(これです)。ユーモアがあって、皮肉が効いてて、好き)

↓ドラマ予告。ドラマ全部観終わったら、ぜひキャストについて調べてみてください。たぶん、あることでびっくりされる方もいらっしゃると思います。全然違う人間になれる、役者さんってすごい。

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悲しいときに怒る男たち:『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と『沈没家族』

今年のアカデミー賞最多ノミネート(であってるかな?)ということで、少し前にNetflixで『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を観た。

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TBSラジオの番組・アフター6ジャンクションで、オスカーウォッチャーのメラニーさんが「作品賞の最有力候補になってると思うんですけど…その割にはちょっと地味かも」というようなことを話されていたんだけど、観ると納得する。


いぶし銀~な作品で華やかさはない。でも人間の描き方が丁寧で、結構好きだった。ざっくり、こういう話↓

 

威圧的だがカリスマ性に満ちた牧場主。弟の新妻とその息子である青年に対して冷酷な敵意をむき出しにしてゆくが、やがて長年隠されてきた秘密が露呈し...。
Netflixの作品紹介より引用。いやはやほんとにざっくりだね)

 

西部劇風の舞台なんだけど、カウボーイ最盛期の話じゃない。
むしろ、そろそろカウボーイも時代遅れになるぞ、っていう、カウボーイ時代の夕暮れを背景にした作品。

この舞台で、「男社会に生きるつらさ」を描こうとしてる(と思う)のが、今の時代の作品だなあ…と思う。

ベネディクト・カンバーバッチ演じる牧場主・フィルは、いわゆるToxic masculinity(※)(有害な男らしさ)をふりまいている人。
わざと風呂に入らず臭いままでいたり、男の子が紙を造花にしたのをわざとぞんざいにあつかったり、苦手なピアノを練習している人を「自分はもっとうまく弾ける」とばかりにバンジョー(?)で邪魔したり。

 

(※ジェーン・カンピオン監督は、この言葉はあまり使いたくないとインタビューで話していたけど、それをふりまいている男性自身がその毒にやられる面があると思うので、この言葉を使わなければいいってもんでもないんじゃないかな?と私は思う)

 

家父長制の佃煮みたいな家、ことあるごとに父親から怒声が降ってくる家庭、で育った私は、女性や自分より弱そうな男の人に怒っている男性を見ると今でも異様に怖いと思う。あるいは、なんでこんな理不尽がまかり通ってるのか、ととんでもなく腹が立つ。

しかし、映画だと少しだけ離れた場所から人物を眺めることができる。
人をおちょくったり威嚇しているフィルは、たしかに怖い人なんだけど、同時にすごく寂しそうだった。彼は、大人になっても弟と同じベッドに寝ていて、弟が結婚したことによってその安心できる場所が取られたから過剰に反応しているように見えた。

 

同じくらいの時期にアマプラで観た映画『沈没家族』でも、男の人の、そっくりな姿を観た。

(音楽もすごくいいんだ、『沈没家族』…)

 

『沈没家族』は、実母の呼びかけで集まったたくさんの知らない大人たちに育てられた加納土さんが、自身の生い立ちを振り返ろうと撮影したドキュメンタリー映画

彼のお母さん・加納穂子さんは、「子どもはたくさんの大人の中で育ったほうがいい」と考えていたこと、経済的・時間的な余裕がなく多くの大人を巻き込まなければ子育てはできないと感じていたことから、近所にチラシを配って、一緒に子育てしてくれる人を募る。かかわった人は、30人ほど。土さんはたくさんの大人が出入りする「沈没ハウス」と呼ばれるアパートで育ち、朝食と昼食で違う人から違うテーブルマナーを教えられたり、10人ほどが保護者席で自分を応援しているのを見ながら運動会に出たり…と、一風変わった幼少期を過ごす。穂子さんをはじめ、この共同保育にかかわった人たちに当時の様子や思いを聞いてまわって記録したのが、この作品だ。


※私は佐々木ののかさんの『愛と家族を探して』という本で加納土さんの存在を知った。人と生きていくのには様々なかたちがあるのだと知れる本で、「標準的な家族の在り方」ばんざいなジャパンを苦しく思う今の私をぎりぎり支えてくれているものの一つである。映画とあわせて読むのがおすすめ。

 

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のフィルと重なったのは、『沈没家族』全編の中で一番印象的だった、「山くん」との会話シーン。

穂子さんは、最初は土さんのお父さんにあたる人(土さんは彼をお父さんではなく、「山くん」と呼ぶ)にもこの共同保育にかかわってもらおうと考えていたらしいが、山くんは、まるで実の親みたいな顔をして子育てにかかわる他者を受け入れることができず、この輪から外れる。

映画の中に、土さんが久しぶりに山くんに会い、子育てについて山くんが何を思っていたのかを聞き出そうとするシーンがあるのだが、これがまったくスムーズにいかず、観ているこっちがおろおろしてしまうくらいだった。なぜ共同保育にかかわることをやめたのか土さんが聞こうとすると、山くんはせわしなく座ったり立ち上がったりうろうろしたり。大声を出して早口になり、土さんをシャットアウトしようとする。その怒り方があまりにも生々しく(多くのシーンは、登場する人がカメラを意識して話しているように見えるのだけど、怒ってしまった山くんのシーンはほんとうに、そのままの怒りの感情があふれている印象。次の瞬間どうなるかわからない緊張感がある)、私は自分の父親に怒鳴られた記憶を思い出して苦しかった。

だけど、画面越しに観る山くんは、やっぱりすごく寂しそうでもあった。
山くんは何度も、「自分なりに頑張ったけどできなかった」というようなことを口走っていて、この人は穂子さんや土さんと「ふつうに」家族ができないこと・できなかったことを悔しく思っているのだろう、本当は誰かに「よくやったよ」って認めてほしいんだろう、と感じた(←こういうふうに見ず知らずの他人に言われることを、山くんはすごく怒るだろうと思うけれど)。

映画の後半には、山くんが撮った穂子さんと土さんの写真がたくさん登場するのだけど、その中の穂子さんはいつも怒った顔で写っている(話し合おうとするたびに怒鳴られてたのかもしれず、それじゃそんな顔にもなるよねと思う)。穂子さんがたとえ笑顔で写ってくれなくても、この瞬間を山くんは閉じ込めておきたかったんだな…と、切ない気持ちでいっぱいになった。


「周囲に攻撃する」とか、「女性にケアしてもらう」以外のやり方で、悲しいとか淋しいとかの「弱さ」を受容する方法(解決策はいつでもあるわけじゃないけど、せめてどういう気持ちなのかを自分で正しく認識して受け止める方法)が、もっと(特に)男性の間に広がったらいいのになって思う。

==

※私(女性)自身もよく悲しみや寂しさを怒りで表出してしまうし、「男性」の問題じゃないんじゃないの?とご指摘を受けてしまいそうだけど、「これくらいで泣かないの」って教わって生きる、つまり「強くあれ」ってメッセージをあちこちから刷り込まれて大きくなるのは圧倒的に男の人が多いと思うから、問題をなんでも一般化することは状況を改善しないと思ってる。

※講座を受けたことがあるわけじゃないけど、DV・モラハラ加害者が「自他共に、持続可能な形で、ケアできる関係」を作る能力を身につけるためのサービスを提供している、GADHAという団体が気になっている。

 

www.gadha.jp


加害者はだいたい被害者でもある、というようなことがこの団体のWebサイトに書いてあって、私もまったく同意見だ。だけどその「被害者性」を(女神的あるいは母的な女性になんでも受け止めてもらうことで成仏させるのではなく)男の人たち同士で話し合って見つめる場所って、まだ少ないと思う。


GADHAのプログラムの中には、参加者が自分の被害者性に注目して気持ちを掘り下げられるような内容も用意されているみたい。

www.gadha.jp


ここで勉強できるようなことが、義務教育の道徳の授業とかにも取り入れられたらいいのにな…。それは(むやみに)「親を敬おう」って教えたりすることよりも、ずっと意味があると思うのだけど。


※今回言及した「大声で威嚇してくる男の人」っていう、わかりやすいかたち以外にもToxic masculinityは存在しているから、この記事を読んでくださった男性に「自分は荒々しくないし、女性とも仲良くしてるし大丈夫」とは思って欲しくない…。

いろんな「一般男性」の話をエクスキューズをさしはさまずにただ聞いて受け止めてまとめた本、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』を読んでもらえると、「荒々しくないけどたしかに暴力性だ」というのが具体的にどういうものか、イメージしていただきやすいと思う。

(どうしてもこういう批判的な文脈で言及されるのが多い本だと思うから、まとめた清田さんも語り手の男性に協力してもらうのが苦しかっただろう…)。

 

ここには、学生から子育て中の方まで、結婚未経験の方から離婚経験者まで、妊活中の人から、妻に浮気された人から、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで衝撃を受けたって人まで、とにかくいろんな人が出てくる。出てくるんだけど、『キム・ジヨン』を読んでる人ですら、自分がまだ持ってる女性蔑視に気づいてなかったりする。

(ちなみに4月6日くらいまで?電子書籍版はセールで安くなってるようだ。元値から60%以上安くなってて、500円以内で買えます(曖昧な情報)。私も、ずっと読みたかった本で、ついにセールにかかったので買った)

これは誰にでも言えること(もちろん私にも言えること)だけど、人間はマジョリティ性とマイノリティ性を両方持って生きてる。自分で知らないうちに傷ついてることがあるのと同時に、知らないうちに特権に下駄をはかせてもらってることがある。「自分は誰も踏みつけない」と確信を持って生きちゃうのが一番危ない(から気を付けよう…)。

田房永子さんのニュースレター

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以前マレーシアで撮った写真。マレーシアはちょっと住んでみたい国です

3月も終わりに近づいてまいりました(早い。今月も全然ブログ書けてないのに)。

私は今年も花粉症と戦っていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。最近、タサン志麻さんのレシピで作るアップルパイにはまっているけそです。

小麦粉摂取量をなるべく減らそうとしていた時期が嘘だったかのように、最近小麦粉のお菓子ばっかり食べています…。クッキーも大好き…。

(↑アップルパイは、これに載ってたレシピをさらに適当にして作っている。元のレシピは生クリームを使うのだけど、高いし余るとちょっと面倒なのでバニラアイスを載せている。りんごはたっぷり使った方が食べるとき嬉しい。レンジとオーブンだけでできるのでめちゃくちゃ簡単)


今月は、

・映画『ドライブ・マイ・カー』を配信で観て、やっぱり最近「運転する女」モチーフが熱いぜ!と思った話

・映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』をやっと観て(4時間くらいある映画なので、よっぽど気合い入った日じゃないと観られない)、台湾ってつい最近までこんなに大変だったのかと思ったり、銃刀法って必要なんだねとしみじみ思ったりした話

・韓国ドラマ『未成年裁判』を観て、教育は何を目指せばいいのかますますわからなくなった話(登場人物のチャ判事があまりにも好みど真ん中で(演じてる俳優さんじゃなく、彼が演じる「チャ判事」の存在が)、チャ判事ばっかり目で追っていたが、総合的にいいドラマだった…)

認知症の女性の一人称で進む小説『ミシンと金魚』を読んで、内側からその人の世界を見るって小説じゃないとなかなかできないよなと思った話

…とか、この辺の話が書きたいんですけど、どれも書き出すと3時間はかかりそうなので、もう少し手軽に書けるところから取り掛かっていきますわい。ということで、今日は最近(無料)購読しているニュースレターの話。

 

私、以前noteを使ってましてそこからはてなに引っ越してきたんですが、引っ越し先候補として、ニュースレターメディア配信サービスの「theLetter」を検討してました。
このサービス、書いたニュースレターが登録者のメールアドレスに配信されるという点でメルマガっぽいんですが、前に配信した記事をWeb上にまとめておくこともできるようで、使い勝手がnoteに似てて移行しやすそうだったんですよね。でも検討してる段階では、一部の人(おそらくフォロワーが多い方)にしかサービスが開かれてなくて結局断念しちゃいました。

 

その後theLetterのサービスが全面オープンになったので、私も申し込めるようになったのですが、前ほど安定的に記事をアップできなくなってしまったのもあり、今は使いたいという気持ちが低空飛行。とりあえず、「読み手」として、好きな書き手さんのニュースレターを追うことだけしています。

私が今読んでるニュースレター、どれもそれぞれの書き手さんの個性が光る面白いものなので、ご関心の合う方にも届くといいなーと思い、ご紹介記事を書いてみることにしました(1回で終わっちゃったらすみません)。今日は田房永子さんのニュースレターについて。

 

田房永子さんのニュースレター

発信者は、マンガやエッセイを多数手がけられている田房永子さん。

田房さんの作品は「毒親」というキーワードから入る方が多いのでは?と思います(私もそうでした。機能不全家族育ちなので…。特に↓のコミックエッセイから学んだことは、人生のあらゆる局面でめちゃくちゃ役立っています。今の恋人と良い関係が築けている理由の一つは、「この本から学んだことを度々思い出しているから」だと思われます)。

 

マンガや文章を拝読して、私が田房さんの一番の魅力だと思っているのは「脳内の言語化/図式化の精度の高さ」です。私も田房さんみたいに、頭の中でモヤモヤ漂ってるものを、「ここしかない」って言葉にあてはめたり、絵にあてはめたり、図にできるようになれたらなあ…!と、悔しさを抱えながらいつも読んでいます。そして、構造がすっきり組み立てられている一方、キャラクターの表情やしぐさ、文章は熱くて、ユーモアがふんだんに使われてて、田房さんの感情と愉快なお人柄があふれんばかりに盛り込まれている。田房さんの作品を読んでると、テンション高い人の近くにいる犬みたいに自分(の気持ち)もジャンプしてきてしまう。このバランスが、好き!

 

ニュースレターは、書籍以上に田房さんのユーモアがハイテンションでぶいぶい効いていて、毎回読みながらがははと笑ってしまいます。楽しく生きるためのヒントも入っているように思えて、元気が出ます。

3月8日に配信された回は、特に笑いが止まりませんでした。
アイキャッチになってるミシュランマンたちのイラストに添えられている解説を、ぜひ皆さんにも読んでほしいです。
ZUMBA界がそんなことになってるということも、知りませんでした。

(※以下、リンク先のニュースレターは、購読者になると全文読めます。今後もしかしたら変更あるかもしれませんが、現段階では無料です)

tabusaeiko.theletter.jp


田房さんが書かれる「〇〇って、〇〇なんだよなー」とか「〇〇って、〇〇に似てる」の話はいつも「気づかなかったけど、言われてみればたしかに…」ということが多くて、目から鱗が落ちて面白いです。2月28日配信回も、そういう回でした。

tabusaeiko.theletter.jp

 

3月18日配信回で、田房さんが書評を書かれた本を紹介されてたんですが、その本が気になりすぎて予約購入してしまいました。絶対いつか読むと思ったから。

(母親になったことを後悔している女性23人へのインタビューを収めた本とのこと)

「みんなが好き、いいって思うものって怖い」という話を私の恋人が時々してるんですが、「ポジティブな母親像」についても同じことが言えると思います。「ネガティブなことを言ってはいけない」って圧が強くなっちゃうと、それも苦しいですよね。

(「女性と出産」「神格化される母性」「女性にケアギバーであれと強いてくる社会」に対してはもう何年もずっとモヤモヤ考えていろいろ読んだり観たりしているテーマで、少し前にこれらに絡めた小説のアイデアを思い付いたので、何年かかるかわかりませんが、いつか書き上げたいと思っています)


好きな書き手さんがおすすめされてる本は面白いことが多いので、よくチェックしています。

 

tabusaeiko.theletter.jp

コンテンツ月記(令和四年、弥生)

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(これはタイで撮った写真。外国に行きたい…)

読んだもの、観たものを、書きなぐりのメモで記録します。完読できてないものも、書きたいことがあったらメモします。すでに長めのレビューを書いてるものや書く予定のものは、基本的に除いてます(…と言いながら、ここで書いてる感想も割と長いんだけど)。


更新日が3月になっちゃったので弥生号にしてるけど、主に2月の記録。ということで今月の「月記」はもう一本書けるといいんだけどなあ。

確定申告の作業をした日は仕事をする気力がなくて、映画をなにかと観ていた。文章を書くエネルギーが足らずにまったく感想が追い付いていないけどちょっとずつ書いていくよ…。

==評価基準(特に記載したいときだけ)==
\(^o^)/ 乾杯。愛。最高の毒なり薬。
φ(..) 特別賞(今後思い出すだろうシーン有等)
==ココカラ==

 

 

映画

ロブスター φ(..) 

私、ディストピアものに生じるユーモアが大好物なんだけど、それが味わえる映画だった。星新一作品に通じる雰囲気というか。

あらすじとしてはこんな感じ↓

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その世界では、独身でいることは許されない。

妻に別れをつきつけられた主人公も例外ではなく、彼はさっそくある施設に収容される。そこでは、45日以内にその施設の中で新しいパートナーを見つける義務が課されており、それが達成できなければ動物に変えられてしまうことになっていた。ただし、時折行われる狩りの時間に、施設から脱走した独身者を捕獲することができれば、一人捕獲するごとに一日ずつ猶予の日数が伸びる—。
==

なぜかパートナーになるためには「共通点がないといけない」というのがこの世界のルールで、それがおかしかった(マッチするために無理やり共通点をつくる人が現れたりする)。たしかにマッチングアプリとかも、共通点を入口に出会わせるシステムになってるのが多いけど(外国には「嫌いなもの」を登録して、同じものが嫌いな人とマッチできる仕組みになってるサービスもあるらしい)、それが義務になっちゃうとなあ。違うことを受け入れることのほうが、誰かと付き合っていく上で重要だと思う。

もし私がこの世界に送り込まれたら、「この制度はおかしいと思ってるけど動物にされるのは嫌な人」と徒党を組んで契約結婚すると思うのだけど、意外にも無理やり誰かとパートナーとなるよりも動物に変えられてしまうことを選ぶ人がいて、そこが興味深かった。でも実際、「人間はくそだ。動物のほうがずっと賢い」って思ってる人は多いよね。この制度が実施されたら、映画で描かれているよりも「動物になるほうがいい」と考えてすぐに動物になっちゃう人が多いんじゃないだろうか。

脱走した側の独身者の集団も実はルールに縛られていて、そこがとっても皮肉。
監督の謎のユーモアが光っているダンスのシーン、最高だった。

あと、絶対入りたくない施設ではあるけど、男女それぞれに支給される制服がかわいかったな…。

 

 

あの日々の話 φ(..) 

つい、戦争の状況ばっかりTwitterで調べちゃって苦しくなってたので(私は季節の変わり目も気持ちが落ち込んで苦手なので…二重に食らっている…)ゲラゲラ笑えるものを観たくて観る(@アマプラ)。笑える作品だけど、どっちかっていうと「あーこういうことあったなあ…」って、思い出を掘り返される苦しさのほうがある作品だったかもしれない…。

ニュースレターをいくつか購読してるんだけど、そのうちの一つ、写真家の植本一子さんのレターで、この映画の監督(玉田真也さん)が率いている舞台が面白いと書かれていたので観ることにした。

(この書き方は正確じゃないか。玉田さんはもともと演劇畑の方で、映画も監督されてる、という感じなのだと思う、ご経歴を見る限り。どうやらドラマ版の『青野くんに触りたいから死にたい』の脚本も担当されるようだ。コロナ終わったら、そして収入が増えたら、舞台をもっと観に行きたいな)

植本さんのニュースレターはこちら(今のところ無料)↓

ichikouemoto.theletter.jp


あらすじはこんな感じ↓
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大学のサークルの代表選挙の日、二次会。
サークル御用達のカラオケで、深夜のテンションも手伝って盛り上がるメンバーたち。
人間が集まると、起きる化学反応は様々。
先輩後輩、女子と男子、恋愛経験を積んできた者と恋人がいたことがない者。
好いたり憎んだり、緊迫したり緩んだり、近づいたり疑ったり。
ゆらぐ人間模様を描く、ハイテンポ会話劇。
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すっごく不思議な感覚になる映画だった。
まず、この人たちの入ってるサークルが何かは最後まで全然わからない。この人たちが大学で何を勉強してるのか、とかも。
それこそカラオケで流れる映像みたいな…概念だけ抽出されたみたいな会話で構成されている。

でも、「わかる…わかる…こういう空気を私も知ってるよ…!」って思うところが多くて。
たいして年が変わらないのになぜかやたら「人生知ってます感」を出している先輩のたたずまいとか上下関係の謎ルールとか。自分のほうが「上手」だとわかったら急に偉そうになる人とか。若者の間に一人だけ世代が上の人がいるとき、互いに親しみを表明しようとするんだけどちょっと年上の人が「いじられて」しまって、残酷さが生じる感じとか…。


「あの時は真剣だったけど、後で振り返るとおかしかったよな…あれ…」と感じるような思い出の再放送的なシーンもいっぱい…(真剣に怒ってるときに、生じやすい現象。橋口亮輔監督作品でもよく扱われるユーモア(大好物))。


それぞれのキャラクターが絶妙なんだけど、特に素晴らしかったのは「邪悪なお調子者」造形だと思う。
(そりゃもちろん100%まっさらいい人ってのはいないし、それを期待するのも過剰だよね~とは思うんだけどさ…。いつもお調子者キャラの人のがっつり腹黒いところを見るのが、私は一番怖いのよ…)

女性の描き方も好きだったな!特にさおりさん!ここは譲れないって芯がしっかりある人で好きだった。

細かな会話のゆらぎが面白かったから、玉田さんの他の作品も観てみたい。

英国王のスピーチ φ(..)

U-NEXT の無料体験で、恋人のおすすめで観る。
恋人いわく「(主演の)コリン・ファースのこと好きになっちゃうから!」…たしかになった。苦悩するコリン・ファースのかわいらしさよ…!

(U-NEXT…高いけど入ってる作品は充実してるよね…『あのこは貴族』も入ってるもんな…←感想書けてないけど、あのこは貴族はとてもいい映画です!!!入ってる方や無料体験してみようって方はぜひ)

あらすじ↓
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英国王を父に持つヨーク公アルバートの悩みは、吃音があること。
大切な場になるほど、言葉がうまく出てこない。
彼の妻・エリザベスは、街の治療者でオーストラリア出身のライオネルに、身分を隠して治療を依頼する。
自分の吃音は治療できるはずがないと諦観からイライラしているアルバートは、ライオネルが対等な関係を築くためカジュアルな名前で呼び合おうと提案してくることにも腹を立てるが、あることをきっかけに彼の治療を受け入れることにする。
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史実を基にしているっていうのがすごいね!!歴史、それぞれの時代にたしかに存在していた人々の、人となりから掘り下げるほうがやっぱり面白い。王族とか皇族とかって、経済的に困ることはないとしても、民衆から監視されているし、自分の生きづらさを吐露するのが難しかったり生き方を選べなかったりするから、実はすごく苦しい宿命だよなって思う…。

私はフィクションでもノンフィクションでも「自分の悲しみを怒りでしか表現できない男性」が出てくると見入っちゃうんだけど(自分自身の(絶縁している)父親がそういうタイプの人だったので。私自身にもそういう面がある)、この映画の主人公・アルバートもそのタイプの人だった。そんな彼が自分の弱さをちゃんと弱さとして表現できるようになったことに、感動した。


戦争をはじめとする大きな歴史上の出来事、(特に現在に近づけば近づくほど)誰かが「みんなに偉いって思って欲しい」「自分は価値ある人間だって認めてほしい」「周りの人よりも優れた人だって褒めてほしい」って子供みたいな、だけど(だからこそ)切実な願いを権力を使って叶えようとしちゃうことが発端だったりするのでは?と最近考えている(ヒトラーとかトランプとか…プーチンもそうなんじゃないかな…)。そういう願いは自分自身の今の状態を受容できてないからずっと影のように付き纏ってくるものだと思うので、平和のために本当に必要なのは武力じゃなくてカウンセリングなんじゃないだろうか…。

あと、オーストラリアの歴史ってこれまで全然学んでみたことがなかったな…と気づいた。ちょっとずつ勉強していきたいな。

映画を観たあと、作品内でファム・ファタール的に描かれていたウォリス・シンプソンのことをWikipediaで読んでたら、事実は小説より奇なりを地で行く人で面白かった。

ja.wikipedia.org


あと、エリザベス妃(今のイギリス女王エリザベスのお母さんにあたる人)の描かれ方も好きだなと思って彼女のこともWikipediaで読んでたら(Wikipediaが好きなんだよね…必ずしも正確じゃないとしても読み物として…)、彼女もまた結構面白い人だった。

ja.wikipedia.org

 

 

マンガ


僕の心のヤバイやつ 1~6巻 φ(..)

中二病ど真ん中の少年・市川京太郎と、モデルをしているが食いしん坊の少女・山田杏奈の、端から見たらどう見ても両想いなのに全然付き合わない二人のラブコメ。世界の全てが憎くなったときでも、これを読んでる間は温かなもので胸が満ちる…。

会話の機微の描き方がうまいから、読んでいてくすぐったい。

例えば、二人で映画を観に行くってとこのこのくだり。


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(↑『僕の心のヤバイやつ』6巻より引用)


山田は…好きな人の目がよく見える席に移動したんだよね…。
でもそれを本人には言わないで一人で噛みしめているんだ…。
こういうシーンがいっぱい詰まったマンガなんだ、言葉だけじゃなくて、仕草や表情から「好き」が放出される、愛にあふれたマンガなんだ…。

ヒロインの山田もかわいいんだけど、とにかく主人公の京ちゃん(←主人公は姉からそう呼ばれている)がとってもかわいい!!


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(↑『僕の心のヤバイやつ』6巻より引用。普段、自分は周りのやつらとは違うと虚勢を張ってる京ちゃんが!いざとなるとこの顔!!)


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(↑『僕の心のヤバイやつ』6巻より引用。構われるのをうざいと思ってる一方、姉を頼っている素直なところがかわいい…)

10代の恋愛を描いたマンガ、最近は特に高校生を描いたものが多いと思うんだけど、中学生が主人公だっていうのが絶妙だと思う。たぶん高校生よりも、「子供であること」「大人になること」を考える時期だと思うから。山田と向き合う中で、だんだん京ちゃんが自分で自分を受け入れようとしていくところもとても素敵。徐々に、自分や他人の感情を豊かに理解できるようになっていくんだよね…。山田も京ちゃんも、相手が自分自身を肯定するための声かけをするようになっていく(恋愛関係には「自分がいないとあなたはだめだ」って依存させて成り立っちゃってるものもあるけど、二人はそれとは真逆の関係)から、巻を追うごとに胸にずっしり来る。6巻は特に!!よかった!!(もちろんそこに至るまでの過程がよかったんだけど)


しかしちょこちょこ、うーんと思う点もあり…。
特に気になってるところは、下ネタについて。
中学生の性欲についてもちゃんと描きたいという方針を作者さんはお持ちのようで(インタビューでそういうことを話されていた)そこについてはもちろん否定しないんだけど、性暴力の話題もごっちゃにしてキャラクターたちが話しているのが!!どうしても怖かった。
リアルな中学生像を描きたいって気持ちはわかるんだけど、「性暴力のことも笑い話にする」っていうのをわざわざマンガで再放送しなくていいと思うの…。全然違うことだから…。

キャラクターたちの内面の掘り下げが進んでいくにしたがって「うーん…」なところは減ってきつつあるのだけど、そこはどうしても笑ってスルーできないところだから書いておくよ。

脇を固めるキャラたちもとても素敵なので、ぜひ~。私は京ちゃんのお姉ちゃんが好きです(京ちゃんちも山田の家も、家族が素敵ですごく羨ましかった涙)。

冒頭数話と最新の数話はWebで読めるよ↓

mangacross.jp

 

一応コミックスも貼っておくよ↓


山田、どんどんかわいくなっていくんだけど、私は4巻の表紙が特に好きだよ。


作者の桜井さんがTwitterで描いてたおまけマンガ的なのをご自身でまとめた無料Ver.もある。できれば本編読んでから読むほうが楽しめると思うけど、これだけ読んでも二人の関係性をニヤニヤ楽しむことはできるよ。

 

タコピーの原罪 φ(..)

ちょいちょいTwitterで話題になってるな~と思っていたところ、今のとこ最新話までWebで全部読めることがわかったので一気読み。
雑に言うと「とっても暗いドラえもん」みたいな話。設定はそんなに新しくはないかもしれないけど、絵が魅力的で続きが気になるマンガ。

あらすじ↓

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ハッピー星から地球にやってきたタコピーは、ハッピーを広めるために地球に降り立った。
お腹が空いて困っていたところ、くたびれた様子の一人の少女・しずかちゃんにパンをもらって助けられる。お礼に、星からもってきた不思議な力を持つ「ハッピー道具」を披露してみるけど、しずかちゃんは興味がなさそう。
どうにかしてしずかちゃんを笑顔にしようと、タコピーは奮闘するのだけど…。
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しずかちゃんを取り巻く人間関係、みんな悲しい思いとそこから生じた怒りを抱えて生きていて、タコピーのハッピー道具がまったくハッピーに使われない。


ハッピー道具に対する子供たちの目が、時代の空気を反映している気がして悲しかった。もちろんドラえもんの頃だって、誰か一人の救世主や、素晴らしい道具によって全てが解決したわけじゃない(ドラえもんがいたって、のび太はずっといじめられっ子だ)。でも、「もしかしたら自分にもいい未来が来るかもしれない!」と信じてみることすら、難しくなっちゃったんだな、と…。
(いや、違うか…。いつだって絶望していた子供はいたと思うけど、やっとそういう子供にもスポットライトが当たるようになった、ということなのかもしれない)

 

この先の展開について、私は、タコピーが目指している「ハッピー」の内容がはっきりしてないからそこが怪しいと思って読んでるんだけど(地球人の「ハッピー」と一致しないんじゃないかと思う)…どうなるのかな?Twitterで「聖書モチーフの描写がちょくちょく入ってる」と指摘があったが(そもそもタイトルがそうだよね)…この先も聖書をなぞっていくのだろうか?

私の恋人(マンガの作り方に詳しい)は、作者のタイザン5さん(すごいペンネームだ)はもともとアニメーター志望だったんじゃないか?って言ってた。『タコピーの原罪』は、両目の開き方が違うっていう人物がよく描かれてるんだけど、それは人間がある行動からある行動に移る、その間の瞬間を描いてるからなんじゃないか?と。面白い指摘。

(アニメを作るとき、その、間の部分を描くことを「中割り」というらしい。この記事に説明が書いてある↓)

tips.clip-studio.com


ジャンプ+で読めるよ~。


コミックスも一応貼っておくよ(3/4発売)↓

 

タイザン5さんの読み切りを何本か読んで、あえて絵を崩して今の画風に至ったであろうこともわかった。


↓このときの絵は、タコピーよりもかっちりしてる。いい話だけど何かちょっとものたりない感じ…。

shonenjumpplus.com




↓この話は上のよりも後なのかな?かなりタコピーに近い作風になってる。こっちの作風の方が好き。

shonenjumpplus.com




加害者としての自分たちに向き合うこと:映画『雪道』の感想

自身の「加害者性」に向き合うことは、「被害者性」に向き合うこと以上に難しい。
最近、私自身の人間関係を振り返って、よくこのテーマについて考えている。

相手を知らずに傷つけてしまっていることもたくさんあるから、せめて、自分がしたことで良くなかったと自覚できることは、忘れないようにしたいと思っている。自分が「されて嫌だったこと」と同じくらい、「相手がされて嫌だったろうにしてしまったこと」を覚えていないといけないよな、と。自分の加害性に向き合うのは苦しいけど、私を踏みつけてきた人と同じになりたくない(…と言いながら、やっぱり実行は難しい)。

「日本が加害者だった歴史」についても、せめて同じことを繰り返さないように、「記憶する」努力が必要だと思う。
日本で、歴史(時々国語)の時間に勉強する「戦争」は、ほとんどいつも被害者側の視点から描かれているけど、それだけじゃ足りないと思う。

前置きが長くなってしまったけれど、そんな背景があって、「慰安婦」として性暴力を受けていた、韓国の女性たちを描いた映画を観た。
dia felizさんのツイートを拝読したのがきっかけだった。

(中略)


一緒にこの映画を観ていた私の恋人が調べてくれたところによると、この映画はもともとテレビドラマだったものにいくつかのシーンを追加してつくられているとのことで、映画としてのつくりはちょっと冗長だ。

でも、そういうことを飛び越えて、日本で生きている者の一人として観ておかないといけない映画だと思った。

雪道(字幕版)

雪道(字幕版)

  • キム・セロン
Amazon

 

(ちなみにこの作品は今のところU-NEXT に入っているので、まだ使ったことがない人は31日間無料体験の間に観ればお金を払わずに観られる。お金に余裕がないけど作品は興味あるんだよなあ、という方、もし体験がまだであれば使ってみてください)

慰安婦」の役割を押し付けられた女の子たち、ほんとうにまだ幼くて、お菓子を本当においしそうに食べる子たちで、それを観ているだけでつらかった(もちろん、成人していたらいいって話ではなくて。大人だけじゃなく子供を、堂々と「人間じゃないもの」扱いして、性のはけ口として消費していたことが本当に恐ろしいのだ)。

映画の中で、私が特に好きだったキャラクターは、拉致された先の満州でメインキャラの二人が出会う年上のお姉さん。彼女も「慰安婦」にするために連れてこられた女性の一人で、ひどい環境に置かれて性病になって苦しい思いをしているはずなのに、自分の分のお菓子を分けてくれて、いつも笑顔で明るい人。歴史の教科書で習う出来事からは犠牲になった人の人となりってなかなか見えてこないけど、こういう人たちがばたばたと犠牲になっていったんだって思うと、自分と「歴史」の距離がぐっと近くなる。誰かの「ふつうの生活」を自分たちの支配欲を満たすために奪う権利なんて、誰も持ってない。

この映画を観た後、歴史的な背景や現在の日韓関係の状況についてもう少し知りたいと思ったので、ずっと読もうと思いながら読めずにいた本を購入した。気になっていたテーマから、少しずつ読んでいこうと思ってる。

この↓本。

一橋大学で朝鮮近現代史を学ぶゼミの学生さんたちと先生がつくられた本で、日韓の間でモヤモヤと存在している様々なテーマについて、等身大の言葉で背景が説明されている。

 

目次はこんな感じ。

 

第1章 わたしをとりまくモヤモヤ
日本って全然寛容で優しい親切な国じゃない!?
推しが「反日」かもしれない‥‥‥
「韓国が好き」と言っただけなのに
なにが本当かわからなくて
コラム 韓国人留学生の戸惑い
座談会 日韓の問題って「重い」?

第2章 どうして日韓はもめているの?
韓国の芸能人はなんで「慰安婦」グッズをつけているの?
コラム マリーモンドと「少女像」
なんで韓国は「軍艦島」の世界遺産登録に反対したの?
どうして韓国の芸能人は8月15日に「反日」投稿するの?
コラム インスタ映えスポット 景福宮
コラム なぜ竹島は韓国のものだっていうの?
座談会 「植民地支配はそれほど悪くなかった」って本当?

第3章 日韓関係から問い直すわたしたちの社会
なぜ韓国人は「令和」投稿に反応するの?
コラム K-POPアーティストが着た「原爆Tシャツ」
韓国のアイドルはなぜ兵役に行かなければならないの?
コラム 韓国映画の魅力
日本人だと思っていたのに韓国人だったの?
コラム 戦後日本は平和国家?
座談会 歴史が問題になっているのは韓国との間だけじゃない?

第4章 「事実はわかったけれど……」,その先のモヤモヤ
K-POP好きを批判されたけど,どう考えたらいいの<? br>コラム 『82年生まれ,キム・ジヨン
ただのK-POPファンが歴史を学びはじめたわけ
韓国人留学生が聞いた日本生まれの祖父の話
韓国人の友達ができたけれど…
座談会 どんなふうに歴史と向き合うのか

(「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし Amazonの紹介ページより引用)


『雪道』を紹介されていたdia felizさんは以下のようにもツイートされていたのだけど、

『雪道』が発しようとしていたメッセージと、これらのツイート、『「日韓」のモヤモヤ…』本の「慰安婦」の項目で書かれていたことには、通じるところがあると感じた。

『雪道』は、もちろん「日本軍から暴力を受けた女性たちのことを風化させたくない」という目的があってつくられた作品だと思うけど、日本軍に拉致される以前から女性が不当に扱われている状況があったこと(息子は学校に行けるが娘は行けない家がある等)、現在も女性差別がなくなっていないこと(ほかに収入を得る手段がなくて水商売をしていた少女が見下される等)についても、丁寧に描こうとしていたと思う。「ある人が、その人の属性を理由に不利な立場に置かれるってことを、なくしたい」っていう気持ちって、普遍的に共有できるものだと思う。『進撃の巨人』を全部読んで苦しさやもどかしさを感じた人なら、共有できる気持ちだと思うんだよ…。

(ちなみに進撃の巨人、今アプリで全話無料キャンペーン中なので、途中まで読んで完走できてなかった私はこれ幸いと最近一気読みしたのである。途中から設定がちょっと入り組んでくるので、間を空けずに読むのがおすすめ。私は恋人と二人でiPadスマホにアプリを入れて数台のデバイスを駆使し読む技を使いました…。止まらなくなるから初めて読む人は覚悟してね…)

 

 

『「日韓」のモヤモヤ…』本の内容に戻ると、他にも、竹島軍艦島、兵役に関するところなどを少し読んだけれど、「これについて知らないで韓国に接するのは、恥ずかしいことだな…」と思うことばっかりだった。

(特に兵役について。韓国の兵役制度が始まったこと・維持されていることに、日本も一部関わっていることが書かれていて、そこに日本が関係してるとこれまでみじんも思っていなかった自分が申し訳なくなった…。韓国の兵役生活を描いた作品としては、Netflixのドラマ『D.P. -脱走兵追跡官-』とマンガ『フォーナイン~僕とカノジョの637日~』(とその続編『軍と死-637日-』)が、いずれもつらいけどおすすめ)

※ちなみに『軍と死-637日-』は今のところKindle Unlimitedでも読める。登場人物の背景とかを知ってから読むには、『フォーナイン』から読むのがおすすめではあるけど。


歴史について、勉強のためには、もう少しいろんな立場の人が書いた本も読んでみたいと思うのだけど、歴史修正主義じゃない「別の立場」の本って、見つけられるのだろうか…。