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悲しいときに怒る男たち:『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と『沈没家族』

今年のアカデミー賞最多ノミネート(であってるかな?)ということで、少し前にNetflixで『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を観た。

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TBSラジオの番組・アフター6ジャンクションで、オスカーウォッチャーのメラニーさんが「作品賞の最有力候補になってると思うんですけど…その割にはちょっと地味かも」というようなことを話されていたんだけど、観ると納得する。


いぶし銀~な作品で華やかさはない。でも人間の描き方が丁寧で、結構好きだった。ざっくり、こういう話↓

 

威圧的だがカリスマ性に満ちた牧場主。弟の新妻とその息子である青年に対して冷酷な敵意をむき出しにしてゆくが、やがて長年隠されてきた秘密が露呈し...。
Netflixの作品紹介より引用。いやはやほんとにざっくりだね)

 

西部劇風の舞台なんだけど、カウボーイ最盛期の話じゃない。
むしろ、そろそろカウボーイも時代遅れになるぞ、っていう、カウボーイ時代の夕暮れを背景にした作品。

この舞台で、「男社会に生きるつらさ」を描こうとしてる(と思う)のが、今の時代の作品だなあ…と思う。

ベネディクト・カンバーバッチ演じる牧場主・フィルは、いわゆるToxic masculinity(※)(有害な男らしさ)をふりまいている人。
わざと風呂に入らず臭いままでいたり、男の子が紙を造花にしたのをわざとぞんざいにあつかったり、苦手なピアノを練習している人を「自分はもっとうまく弾ける」とばかりにバンジョー(?)で邪魔したり。

 

(※ジェーン・カンピオン監督は、この言葉はあまり使いたくないとインタビューで話していたけど、それをふりまいている男性自身がその毒にやられる面があると思うので、この言葉を使わなければいいってもんでもないんじゃないかな?と私は思う)

 

家父長制の佃煮みたいな家、ことあるごとに父親から怒声が降ってくる家庭、で育った私は、女性や自分より弱そうな男の人に怒っている男性を見ると今でも異様に怖いと思う。あるいは、なんでこんな理不尽がまかり通ってるのか、ととんでもなく腹が立つ。

しかし、映画だと少しだけ離れた場所から人物を眺めることができる。
人をおちょくったり威嚇しているフィルは、たしかに怖い人なんだけど、同時にすごく寂しそうだった。彼は、大人になっても弟と同じベッドに寝ていて、弟が結婚したことによってその安心できる場所が取られたから過剰に反応しているように見えた。

 

同じくらいの時期にアマプラで観た映画『沈没家族』でも、男の人の、そっくりな姿を観た。

(音楽もすごくいいんだ、『沈没家族』…)

 

『沈没家族』は、実母の呼びかけで集まったたくさんの知らない大人たちに育てられた加納土さんが、自身の生い立ちを振り返ろうと撮影したドキュメンタリー映画

彼のお母さん・加納穂子さんは、「子どもはたくさんの大人の中で育ったほうがいい」と考えていたこと、経済的・時間的な余裕がなく多くの大人を巻き込まなければ子育てはできないと感じていたことから、近所にチラシを配って、一緒に子育てしてくれる人を募る。かかわった人は、30人ほど。土さんはたくさんの大人が出入りする「沈没ハウス」と呼ばれるアパートで育ち、朝食と昼食で違う人から違うテーブルマナーを教えられたり、10人ほどが保護者席で自分を応援しているのを見ながら運動会に出たり…と、一風変わった幼少期を過ごす。穂子さんをはじめ、この共同保育にかかわった人たちに当時の様子や思いを聞いてまわって記録したのが、この作品だ。


※私は佐々木ののかさんの『愛と家族を探して』という本で加納土さんの存在を知った。人と生きていくのには様々なかたちがあるのだと知れる本で、「標準的な家族の在り方」ばんざいなジャパンを苦しく思う今の私をぎりぎり支えてくれているものの一つである。映画とあわせて読むのがおすすめ。

 

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のフィルと重なったのは、『沈没家族』全編の中で一番印象的だった、「山くん」との会話シーン。

穂子さんは、最初は土さんのお父さんにあたる人(土さんは彼をお父さんではなく、「山くん」と呼ぶ)にもこの共同保育にかかわってもらおうと考えていたらしいが、山くんは、まるで実の親みたいな顔をして子育てにかかわる他者を受け入れることができず、この輪から外れる。

映画の中に、土さんが久しぶりに山くんに会い、子育てについて山くんが何を思っていたのかを聞き出そうとするシーンがあるのだが、これがまったくスムーズにいかず、観ているこっちがおろおろしてしまうくらいだった。なぜ共同保育にかかわることをやめたのか土さんが聞こうとすると、山くんはせわしなく座ったり立ち上がったりうろうろしたり。大声を出して早口になり、土さんをシャットアウトしようとする。その怒り方があまりにも生々しく(多くのシーンは、登場する人がカメラを意識して話しているように見えるのだけど、怒ってしまった山くんのシーンはほんとうに、そのままの怒りの感情があふれている印象。次の瞬間どうなるかわからない緊張感がある)、私は自分の父親に怒鳴られた記憶を思い出して苦しかった。

だけど、画面越しに観る山くんは、やっぱりすごく寂しそうでもあった。
山くんは何度も、「自分なりに頑張ったけどできなかった」というようなことを口走っていて、この人は穂子さんや土さんと「ふつうに」家族ができないこと・できなかったことを悔しく思っているのだろう、本当は誰かに「よくやったよ」って認めてほしいんだろう、と感じた(←こういうふうに見ず知らずの他人に言われることを、山くんはすごく怒るだろうと思うけれど)。

映画の後半には、山くんが撮った穂子さんと土さんの写真がたくさん登場するのだけど、その中の穂子さんはいつも怒った顔で写っている(話し合おうとするたびに怒鳴られてたのかもしれず、それじゃそんな顔にもなるよねと思う)。穂子さんがたとえ笑顔で写ってくれなくても、この瞬間を山くんは閉じ込めておきたかったんだな…と、切ない気持ちでいっぱいになった。


「周囲に攻撃する」とか、「女性にケアしてもらう」以外のやり方で、悲しいとか淋しいとかの「弱さ」を受容する方法(解決策はいつでもあるわけじゃないけど、せめてどういう気持ちなのかを自分で正しく認識して受け止める方法)が、もっと(特に)男性の間に広がったらいいのになって思う。

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※私(女性)自身もよく悲しみや寂しさを怒りで表出してしまうし、「男性」の問題じゃないんじゃないの?とご指摘を受けてしまいそうだけど、「これくらいで泣かないの」って教わって生きる、つまり「強くあれ」ってメッセージをあちこちから刷り込まれて大きくなるのは圧倒的に男の人が多いと思うから、問題をなんでも一般化することは状況を改善しないと思ってる。

※講座を受けたことがあるわけじゃないけど、DV・モラハラ加害者が「自他共に、持続可能な形で、ケアできる関係」を作る能力を身につけるためのサービスを提供している、GADHAという団体が気になっている。

 

www.gadha.jp


加害者はだいたい被害者でもある、というようなことがこの団体のWebサイトに書いてあって、私もまったく同意見だ。だけどその「被害者性」を(女神的あるいは母的な女性になんでも受け止めてもらうことで成仏させるのではなく)男の人たち同士で話し合って見つめる場所って、まだ少ないと思う。


GADHAのプログラムの中には、参加者が自分の被害者性に注目して気持ちを掘り下げられるような内容も用意されているみたい。

www.gadha.jp


ここで勉強できるようなことが、義務教育の道徳の授業とかにも取り入れられたらいいのにな…。それは(むやみに)「親を敬おう」って教えたりすることよりも、ずっと意味があると思うのだけど。


※今回言及した「大声で威嚇してくる男の人」っていう、わかりやすいかたち以外にもToxic masculinityは存在しているから、この記事を読んでくださった男性に「自分は荒々しくないし、女性とも仲良くしてるし大丈夫」とは思って欲しくない…。

いろんな「一般男性」の話をエクスキューズをさしはさまずにただ聞いて受け止めてまとめた本、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』を読んでもらえると、「荒々しくないけどたしかに暴力性だ」というのが具体的にどういうものか、イメージしていただきやすいと思う。

(どうしてもこういう批判的な文脈で言及されるのが多い本だと思うから、まとめた清田さんも語り手の男性に協力してもらうのが苦しかっただろう…)。

 

ここには、学生から子育て中の方まで、結婚未経験の方から離婚経験者まで、妊活中の人から、妻に浮気された人から、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで衝撃を受けたって人まで、とにかくいろんな人が出てくる。出てくるんだけど、『キム・ジヨン』を読んでる人ですら、自分がまだ持ってる女性蔑視に気づいてなかったりする。

(ちなみに4月6日くらいまで?電子書籍版はセールで安くなってるようだ。元値から60%以上安くなってて、500円以内で買えます(曖昧な情報)。私も、ずっと読みたかった本で、ついにセールにかかったので買った)

これは誰にでも言えること(もちろん私にも言えること)だけど、人間はマジョリティ性とマイノリティ性を両方持って生きてる。自分で知らないうちに傷ついてることがあるのと同時に、知らないうちに特権に下駄をはかせてもらってることがある。「自分は誰も踏みつけない」と確信を持って生きちゃうのが一番危ない(から気を付けよう…)。