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ただ見て、聞くこと:映画『聖者たちの食卓』の感想

結構前のことになるけれど、Amazonプライム・ビデオで映画『聖者たちの食卓』を観た。

インドのシク教総本山にあたるハリマンディル・サーヒブ<黄金寺院> では、毎日10万食が巡礼者や旅行者のために、すべて無料で提供されている。そこは宗教も人種も階級も職業も関係なく、みなが公平にお腹を満たすことができる「聖なる場所」だ。想像すらつかない沢山の食事は、毎日どのように用意されているのだろうか? スクリーンに映し出されるのは、驚くべきキッチンの舞台裏と、それに関わる人々の一切無駄のない神々しい手さばき。もちろん、近代的な調理器具は使わず、全てが手仕事で行われている。

『聖者たちの食卓』公式サイトイントロダクションより引用)

 

黄金寺院での食事の様子(準備・提供から後片付けまで)を、ほとんど何の説明もなくただ映し出し続けるという作品である。一時期、「(食器のぶつかる音だとかが)作業BGMに最適」ということでTwitter上で話題になっていたと恋人が教えてくれて、一緒に観た。膨大な量の食事がつくられているところって、なんでこんなに見るのが面白いんだろう。超巨大版給食室、って感じのドキュメンタリーだ。大量の野菜!おっきい鍋!食堂に敷かれる絨毯も、とんでもなく長い。

でも、一般的なドキュメンタリーとはちょっと違うところがある。一般的な作品だったら、「この作業に関わっている人は〇人」とか、「〇〇さんは現在の持ち場について〇年になる」とかってテロップが出そうなところに、一切の説明が与えられない。淡々と、人々と作業の様子を映し出すだけ。(でも時々カメラを意識している人もいて、そこもなんだかかわいい。ちょっと恥ずかしそうに笑ったり…)

今の日本社会は(って、やたらと主語が大きいけど!)、「過剰に説明を求めすぎ」な面があると感じる。例えば、Twitterで誰かが自作レシピを投稿すると「この材料は〇〇に置き換えても良いですか?」って質問がいっぱい付く(失敗してもいいから自分でやってみたら良いと思うけど、「失敗ダメ」な圧をこれまでの人生でいっぱいかけられてきた人が挑戦できなくなってしまう気持ちもわかる)。

だから、一切の説明を与えられず、放り出されて、ただ見えるもの・聞こえるものを「これはなんだろう?」「この背景にはどういうことがあるんだろう?」と考えてみることを新鮮に感じて、面白かった。ほんとうはどこにいたとしても、「ただ観察してみること」ができるはずなんだけど、先に説明を求めちゃうことが多くなりすぎてるなーと反省。

ひたすら玉ねぎを切る人。それを運ぶ人。粉をこねる人、それを焼く人。
参拝者に食器を渡す人、水を入れる人、カレーを注ぐ人。
大きな大きな鍋に全身を入れて、それを洗う人。

「大きな鍋を運んでいる人たち、明らかに作業負担が大きすぎないか?担当は時々入れ替わるのだろうか?」
「玉ねぎ切る担当の人たち…目がつらそうだ…!」
「水を注ぐ人…腰は痛くならないんだろうか…」
「こねた粉をこんなにきれいに裏返せるようになるまで、どれくらい時間がかかるのだろう?」
説明がなくても受け取れるものってたくさんあって、画面の外側の歴史や仕組みに思いを馳せるだけで楽しい。

でもでも、日本社会は、「過剰に説明しすぎ」の一方で「自分が自然に感じたことこそ至高(時に事実よりも「自分が感じたこと」が正しいとされる)」な雰囲気も高すぎるから(矛盾するようだけど)、「素直に感じる」ことが持ち上げられすぎるのも危ないよね。予習が軽んじられている、というか。
たとえば絵を観るときに、事前に作品背景について知っておくともっと深く作品を観ることができると思うけど、「いや、それは観方を狭める」って言われちゃいがちだったり。たしかに「感じる」ことは自由なんだけど、どういう意図を持って制作されたのか?どんな背景があるのか?って事実まで否定しちゃうのは、違うなって思う。伝統的なキリスト教絵画ではマリアの着る服の色にルールがあるけれど、そういう時代の絵画に対して「この絵画はルールとは無関係だ!作者はこういう感情を表現したいから、この色を選んだはずだ!」って主張することは、あんまり建設的じゃないと思う(そのように想像する権利すらない、とはもちろん言えないけれど。ルールから外れたい人はいたかもしれないし)。

美術館で独自の解釈を自分の内側でするだけならまだ良いけど、外国にNO準備・NO予習で臨むと、お邪魔している先の文化を足蹴にしちゃう可能性もある(それで相手の怒りを買って、危険な目に遭ってしまうリスクもある)。だから、「何も知らずにただ異文化にお邪魔する」っていうのは本来であれば生身の自分ではなかなかできない体験のはずなのだよね。それすら可能にしちゃう、映画の可能性よ…(映画を撮る過程で文化を足蹴にしちゃうようなことがないように、創り手はすごく慎重になる必要があるわけだけれど…)。


(現時点では、Amazonプライム・ビデオに入っている人であれば課金なしで観られる↓)