けそと申します。
絵を描きながら暮らしています。
noteで数年記事を書いていたのですが、思うところあってこちらに移り住んできました。
使い勝手とか慣れなくて、(なったことはないけれど)転校生のような気持ち…。
ここではしばらくは、本や漫画や映画などの感想を書いていくつもりです。
生活に余裕が出てきたら、絵や自作の漫画、小説など、あるいは脱サラしてからの人生の話等について載せていきたいです。
初めましての方も、noteからおいでくださった方も、どうぞよろしくお願いします。
さて、一本目の記事はみょうちきりんなこのブログのタイトルについてです。
タイトルの「螘」は「あり」と読みます。
「ありサンバカーニバル」というタイトルにすることは決めていて、最初は「蟻」の字を使おうと思っていたのですが、字からにじみ出る虫っぽさに自らつらくなってしまい、やめました(私は、ほとんどの虫が苦手で、ありは数少ない「まだ直視できる」虫です)。「螘」という字は、ちょっと文字化けっぽいところがミステリアスで気に入っています。
なんでこんなタイトルにしたのかというと、最近読んだ本『はたらかないで、たらふくたべたい』の中で紹介されていたエピソードが、まさに自分が目指しているところに近いと感じたからです。
(いずれ詳しく感想を書きたいのですが、めーちゃくちゃ面白い本です)
著者の栗原さんは、「働かざる者食うべからず」の精神を説く話として有名な「アリとキリギリス」が実は手を加えられたもので、元の話は「セミとアリ」だったこと、その内容は「アリとキリギリス」とまったく違うものであったことを紹介されています。
「セミとアリ」でも、夏の間歌ってばかりいたセミが冬になって困り果て、夏の間も働いていたアリを訪ねていく、という展開までは同じ。しかしその後、「利息をつけて返すから穀物を貸してほしい」というセミに、アリは「借金などさせたくない」と答え、「夏の間歌っていたなら、今度は踊ってみたら」と勧めるんだそうです(原文のフランス語のニュアンスはレッツダンス的なものらしく、嫌味のような言い方ではないそう)。「気にしないでいいよいいよ、踊っちゃおう!」みたいな感じでしょうか。
私は2020年に、リオのカーニバルに参加しました。
(ちなみに私は、まったくサンバダンサーではありません。サンバ未経験で、練習もまったくせず、いきなりサンバ踊る列に入ったんです。いろいろとお金がかかりますが、それでも一般客が踊り手として参加できるってびっくりですよね。私は数年前までこのことを知りませんでした。この経験について詳しくは、前にnoteで書いたこちらの記事をどうぞ)
こういう、とんでもない規模の、世界各地から集まった人たちが無我夢中で踊っているところに参加するのは初めてのことで。
もうそれがひたすら、ひたすら楽しかったんですよね。
で、こういうのが、こういうことの積み重ねが人生じゃないかな、って思ったんです。
日本では、「将来の安心のために、嫌でも我慢して働け」「つらくなきゃ一人前の大人じゃない」って価値観がまだまだ支配的だと思うんですが、やっぱりそれはおかしいなって、思うんです。
いつも、「今」の、手放しの幸せとか喜びが後回しになっちゃう社会が「ふつう」なのって、ほんとにおかしいと思うんです。
つらさを押し込めて生きていく人が「大人」だとされている社会を、やめたいんですよ…。
ということで、ありさんも、みんな踊っちゃおう!そういう世界を目指そうぜ!!!な気持ちをこめて、このみょうちきりんなタイトルをブログにつけたのです。
みょうちきりんですが、結構まじめに、どうしたらそういう世界が手に入るかを考えていけたらなーと思います。