確定申告を終えて放心状態でいましたら、もう3月も半ばですわい。久々のブログ更新です。なので長い(いつも長いよ)。
新型コロナ(この名称すら変えるらしいですね…あくまでもう終わった過去のものにしたいみたい)への政府の対応がやばすぎるので(まあ対応やばいのは全世界的なトレンドだけども…)、初夏くらいに私は恋人と一緒に東京を出て北陸へしばし移住することを決めました。新しい場所に行くのは不安…でも楽しみです。
(前から何度か紹介していますが、新型コロナの状況についてはこちら↓のブログを追っておくとよいように思いますぞ)
fukushimadiaryoffi.wixsite.com
あと(?)、今一番気になっているアイテムは「ジャムーティー」です。
※↓(4/12追記:健康に害がでる恐れがあるとの報道が出たので、おすすめを停止します!それに伴いリンクも一旦消しておきます。)
(楽天の商品の貼り方を忘れたので、Amazonのを貼っときますが、この「香塾」ってところのが本家だそうです。いくつか種類があるのですが、私は「ブラック」を買いました、楽天で)
【2023.4.12追記】
家族より、ジャムーティーからステロイドが検出されたらしいから気を付けた方がいいよ!と情報を得ました。
おすすめした後で恐縮ですが、原因が解明されるまでおすすめは取り消します!
…というかちゃんと説明してくれないのは怪しいですよね。。。
【2023.4.16追記】
販売元より、商品回収・返金についての発表がありました。引き続き、原因解明の過程を追っていくつもりです。
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…ということで冒頭から話題があっちゃこっちゃ飛んでますが、久々のコンテンツ月記ではもうすぐ発表の今年度アカデミー賞関係(なんらかのノミネート関連してる作品。作品そのものというより同じ監督の過去作とかが多いが…)の映画について書こうかなと思います。
※ほんとうはApple TV+のみで配信されているお仕事ディストピアドラマ『セヴェランス』がめちゃくちゃ面白かったよの話も書きたかったんだけど、今回はおさまらず(面白いドラマを探している方はぜひ観てみてください!ストーリーもキャラも音楽も衣装も美術も最高で、お金払う価値があります!観終わってしばらく経った今も、しょっちゅうこのドラマについて考えています。Apple TV+のドラマ何本か観たけど、レベル高いのが多いです)。
ということで、ここからようやっと本編。
読んだもの、観たものを、書きなぐりのメモで記録します。完読できてないものも、書きたいことがあったらメモします。すでに長めのレビューを書いてるものや書く予定のものは、基本的に除いてます(…と言いながら、ここで書いてる感想も割と長いんだけど)。
==評価基準(特に記載したいときだけ)==
\(^o^)/ 乾杯。愛。最高の毒なり薬。
φ(..) 特別賞(今後思い出すだろうシーン有等)
==ココカラ==
映画
スイス・アーミー・マン φ(..)
今回のアカデミー賞作品賞にノミネートしている『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が配信に来るのを楽しみにしているので(私は私がOKと思える空気清浄機を入れてくれていることが確認できるまで映画館には行かないことにしている)、同じ監督(というか正確には監督「たち」。ダニエル・クワンさんとダニエル・シャイナートさんの二人組(通称ダニエルズ)が監督している)の過去作『スイス・アーミー・マン』を観た。
(中年女性が主人公でかっこよく活躍するって聞くだけでもう嬉しいよね~アカデミー作品賞獲ってほしいな!)
以下、スイス・アーミー・マンのあらすじ。
無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決し、その死体にまたがるとジェットスキーのように発進!様々な便利機能を持つ死体の名前はメニー。苦境の中、死んだような人生を送ってきたハンクに対し、メニーは自分の記憶を失くし、生きる喜びを知らない。「生きること」に欠けた者同士、力を合わせることを約束する。果たして2人は無事に、大切な人がいる故郷に帰ることができるのか──!?
(公式サイトより引用)
「死体からガス」っていうのはたぶん腐敗ガスだと思うんだけど、見た目がおなら風に演出されている。ラドクリフ君が、おしりからガスを出しながら海を爆速で進む様子がまずめちゃくちゃシュールで笑っちゃう。
変な映画にばかり出演しているというラドクリフ氏が死体役だし、まあこれもB級映画なんだろう、シュールなコメディなんだろうなー…って感じで笑いながら観始めたんだけど、観ているうちに実は切実な「男性が自分の心の声に向き合うモノ」だということがわかってきてびっくりした。『スイス・アーミー・マン』って多機能ナイフの「スイス・アーミー・ナイフ」から来てるタイトルで、日本語だったら『十徳男』って感じのタイトルになると思うんだけど。要するに「多機能男」的なタイトルなわけです。
公式Webサイトにもメニーの「機能」が掲載されてて(おならジェット噴射で海を進める!歯はひげを剃るためのカッターになる!…みたいなことが10個)、ハンクはメニーの「役に立つ」ところを買ってる、だから一緒にいる(と本人も信じてる)んだけど…、人に役に立つことを求めちゃうのは、自分が役に立つように何度も言われて育ってきたからだったりして、それは必ずしも自分の内側からの声じゃないんだよね。ハンクはメニーと一緒にいることがただ楽しかったから、メニーが好きだからそうしてるだけかもしれないのに。でもお父さんの求めるものをすっかり内面化しているハンクは、そういう自分の気持ちになかなか気づけない。
この記事↓で紹介されているのだけど、ダニエルズ監督がかつて手掛けたマンチェスター・オーケストラの曲「Simple Math」のMVも本作とテーマはすごく似てて。ダニエルズは、自分の心のやらかい場所を開陳しあえないぎこちない父と息子の関係に興味がある人たちなのかな?と思う。
作中、ハンクとメニーが故郷に帰りたいと思うのは「ある女の人に会いたいから」だってとことか、メニーの性的興奮をある「機能」として利用する感じとかがホモソっぽくて嫌だったけど、ダニエルズ監督は「ポリコレ映画とかくそ」と思ってる人とか、こういう描写を「わかる」「うける」って思う人にこそ、この作品を観て(「男の子は/男の人は」こういうもんだっていう思い込みから脱して)「自分自身の」内なる思いについて考えてほしくて、こういう建付けにしたのかもしれないな。内なる思いかそうじゃないかって、はっきり切り分けることはたぶん、できないにしても…自分が「こう考えちゃいけない」って封印している思いがあるんじゃないか?って疑ってみて、自分の心を点検することにはきっと意味があるよね。
さすがダニエルズ監督はMV畑出身、音楽の使い方も素敵なのでぜひそこにも注目してみてください。
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同じく作品賞にノミネートしている作品、『逆転のトライアングル』も、Twitterでは賛否両論あるようだけど(ざまあみろ金持ちモノとしてのギャグがベタすぎて引いたという人の意見も結構みる)観てみたいと思ってる作品。
モデルや武器商人など様々な上層階級を乗せた豪華客船。アル中の船長と我儘な富豪たちに乗組員が振り回される中、予期せぬ事態で船は難破。漂着した無人島で役に立たない富豪と逞しい乗組員の逆転劇が始まる…という2/23公開『逆転のトライアングル』の予告公開!超面白いよ!pic.twitter.com/CW1rdZ7n5D
— ISO (@iso_zin_) 2022年12月22日
US版ポスターのゴールデンゲロを吹き出すセレブもナイス。今年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。オストルンド監督の前々作『フレンチアルプスで起きたこと』、同じくパルムドール獲得の前作『ザ・スクエア』を観れば本作がどんな作品か分かると思うので合わせて是非。どれも好きな人は超ハマる。 pic.twitter.com/hz8Due6Xuw
— ISO (@iso_zin_) 2022年12月22日
そんな(?)オストルンド監督の過去作(パルムドール受賞作)2本を観た…んだけど、長くなっちゃうのでそのうち1本について感想を書く。
フレンチアルプスで起きたこと
そういえばこの作品は、前にジェーン・スーさんが勧めていたなあ…と思って観ることにした。
まずはあらすじ。
フランスの高級リゾートにスキー・バカンスにやってきたスウェーデン人一家。
スマートなビジネスマンのトマス、美しい妻エバ、愛らしい娘のヴェラと息子のハリー。普段仕事に忙しいトマスは、たまに取った休暇で高級リゾートを奮発し、ここぞとばかり家族サービスに精を出す。バカンス2日目。たっぷりとスキーを楽しみ、陽が輝く絶景のテラスレストランで昼食をとっている最中、いきなり爆発音が鳴り響き、彼らの目の前の斜面で雪崩が発生する。それはスキー場の安全確保のため、人工的に起こした雪崩であった。トマスや他のスキー客たちは、ダイナミックな光景に面白がってカメラを向けるが、エバは何かがおかしいことに気づく。果たして、雪崩は予想外に勢いを増し、テラスめがけて向かってきた。
真っ白な雪の煙がだんだんと晴れていく。幸い大事には至らず、人々は再び笑いと活気を取り戻すが、雪崩の瞬間、トマスが見せた“期待はずれの行動”は、エバと子供たちを大いにガッカリさせ、家族の間の空気がぎくしゃくし始める。エバは雪崩が起きた時のトマスの行動を問いただすが、トマスはエバと異なる主張を繰り広げ、次第に夫婦仲にも暗雲が立ちこめてくる。今までの結婚生活に疑問を抱きはじめるエバ、反抗的な態度をみせる子供たち。そして「理想のパパ」の座を取り戻そうと必死にあがくトマス。
バカンスは5日間。残された時間の中で、バラバラになった家族の心は、再びひとつに戻る事ができるのか─?
「いかにも暴力的ではないけど、やんわり女性パートナーに対して加害的な男性パートナーもの(※)」が世の中にもっとないといけない!!!と常々私は思ってるんだけど、この作品はまさにそういう話なので面白く観た。
(※)たとえば、にこにこして優しい人(のように見える)けど、女性パートナーと「話し合う」とき自分の意見は絶対曲げない人とか、絶対謝らない人とか、ジョークだよって言いながら女性パートナーをディスったりする人とか、「君を大事にしたい」といいながら結婚後は女性が苗字変えるのや仕事をやめるのや多めに家事をすることなどが当たり前だと思って話を進めてくる人とか、そういう男性パートナーの話。
“期待はずれの行動”についてはしょうがないとしよう。問題は、トマスはとにかくこのことについて「妻に対して謝れない」男だってことなんですよ…!謝らないためだったら事実も曲げるし演技もする!すごい既視感のある会話が繰り広げられ続けて、観ていてずっとイライラした笑。
女性と男性のパートナー間で意見交換したりする材料として面白い映画だとは思う。思うんだけど、ただうーん…と気になったのは、ちょっとオストルンド監督ってこういう状況に対して客観的すぎる人なんだよな…ってこと。こういう状況で「客観的」って、つまり加害側の肩を持っちゃってるんだよな…。会話劇として面白かったけど、「ね、夫婦とか恋人間でこういうこと、あるよね~へへへ」って感じで終わるのはむかつくぜ。3年後くらいのエバの後日譚をつくってほしい。子供たちを連れて家を出て、楽しくはっちゃけて日々を送るような話を(今作についてはうーん…だったけど、最近はそういう方向性の解放された女性の話も増えてるから嬉しい!この作品ではちょっとそこまで表現するのは難しかったかもね)。
(インタビューなどを読むに、もともとオストルンド監督はスキーが好きな人でスキー映画を撮るために映画の勉強を始めたそう。それも納得の、雪山の美しさ。内容はビターだけど雪山はかっこよくて、それを観るだけでも楽しかった)
一緒に映画を観た恋人は、もう一本(今回紹介しなかったほう)の『ザ・スクエア』のほうがよかったかもと言っていたんだけど(この話も、自分の弱さを認めることが苦手な男性が最後にはそういう部分にも少しだけ向き合う話になっている)、私はこのテーマでやるならもう少し踏み込んでほしいなーと思って観た。設定とかは面白かったけど。
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ギレルモ・デル・トロのピノッキオ \(^o^)/
Netflix限定配信の作品。
ピノキオ今観て新しい感動あるかねー、ストップモーションアニメは大好きなんだけどねー…とちょっと疑いながら観始めたんだけど、すごく感動した。今描くべきテーマやメッセージにちゃんと光を当てていたからだと思う。
最近あった気付きとして、「男性もまた有標な存在である」というものがあって。
どういうことかっていうと、物語(だったり、絵だったり)で「抽象的なキャラクター」を描きたいと造り手が思ったときに選ばれるのはだいたい「男性」のキャラクターだよね。そしてその物語はまるで、男性の男性性(社会が良くも悪くも「男性」に期待すること等)をまるで無視してつくられていたりするよね。でも、社会を男性として生きる人はその「男性性」から自分を切り離して生きることはほんとは無理なはずだよね。ということ。
今、男性キャラクターばっかりが出てくる作品をつくるなら、この「男性もまた有標である」ことを絶対に意識しなきゃいけないだろ、と私は思っていて。それがちゃんと意識されている作品だったから、私はこの映画が好きだった。
特にこの作品で大事に描かれているのは、父と息子の関係。何組か父と息子(完全に親子じゃなくても、それを想起させる2人組も含む)が出てくるんだけど、多くの関係は息子に「こうであってほしい」っていうのを押し付けている。父親たちが押し付けてくるメッセージは、たとえば「漢たるものたくましくあれ、戦争を恐れるな」だったり、「自分(父親)に役に立つように動け」だったり、「死んでしまった前の子供のようにいい子であれ」だったりするんだけど、ほとんどの息子たちはなんとかそのメッセージに応えようと頑張っている。でもピノッキオは自由な子で、嫌なことやできないことについてはちゃんと、嫌だとかできないとかって言う。そのピノッキオの在り方に影響された息子たちが、ちょっとずつ変わっていく。そこがすごくよくて、泣いた。
親は、子供を使って「自分の夢」を叶えようとしちゃいけないと思うから、そうなっちゃってた自分に気づけた父親のキャラクターが(も)いたことが希望だったな。
(大いに脱線するけど、私が好きだと思うお父さんと息子の関係の在り方は、シソンヌの↓のコントみたいなやつ。世間の声は、当人たちの幸せには関係ない。友達みたいな母と娘はけっこういるけど(私も母とまあまあ友達だった)、父親と息子で友達みたいになれる人はそれよりも少ない気がする、息子→父親の片想いケースが多い気がする…)
日常の中の些細な幸福の美しさや、過ぎていく時間の儚さ(しかし、儚いってことは無意味とイコールでは決してない、って感じ)等も存分に描かれているので、たぶん映画『ソウルフル・ワールド』が好きな人は、この作品も好きじゃないかな。
メイキングで、ギレルモ・デル・トロは「生きている人間はミスをするものだから、人形たちの動きにも『ミス』を入れるようにした」という話をしていたんだけど、そういう細かい工夫がいっぱいあって観ていてすごく楽しい画面になっている。いかにもデル・トロだな~という不気味さとかわいさの両方あるキャラデザも魅力的。
(ケイト・ブランシェット様(かっこよくて好き)がスパッツァトゥーラ(猿のキャラクター)役の声優をされているのでびっくりしたんだけど、この役がまたよくてね…すごく好きだった。ブランシェット様が出てるTAR(こちらもアカデミー賞作品賞にノミネートしてる)も観たいなー)
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西部戦線異状なし
こちらもNetflix限定配信の映画。
第一次世界大戦中の欧州。祖国のために戦おうと意気揚々と西部戦線へ赴いた17歳のパウル。だがその高揚感と志は、最前線の凄惨な現実を前に打ち砕かれることに。
若い兵士たちが戦場に行くことを決めるところから、ドイツ側とフランス側の停戦までが描かれる。
これを観て胸に刻んだことは二つ。
第一に、戦争は下っ端の兵士(というか一般市民たち)をけっして英雄にはしないんだよ、駒にするんだよ、って、みんなが知っとかないといけないね、ってこと。
映画の冒頭、兵に志願するかどうかを話し合ってる青年たちはまだ戦争が何かを全然わかっていない。おいおい、ママに言われたからって戦場にいかないのかよーって友達をけしかけたり、戦場に行って帰ってきたらモテちゃうかな?みたいな軽口を叩いている。でもそんな、個人の活躍をたたえる余裕は戦争下にはない。兵士たちは匿名の駒でしかない。
どことなくうきうき戦争の話をする青年たちのシーンのもっと前、映画の一番最初のシーンでもこうした戦争の構造が象徴的に描かれる。後に青年たちが自分のために支給された!かっこいい!みたいに思って嬉しそうに抱えていくことになる軍服の出所が、丁寧に映し出される。これらの軍服は、実は先に戦地に送られた兵士のおさがり。血も砂埃もきれいに洗濯され、ほころびが繕われ、もともとの持ち主の名前が書かれていたラベルも外されてうきうきの彼らに渡されている。まあまあ若くて動ける男だったら誰でもいい、顔も性格も名前もこれまでの人生で何をしてきて何を大事にしてきたかもまったく関係ない、死ぬまで使われて死んだら捨て置かれる、それが戦争なんだということが一番最初のシーンで、もう示される。
「何者かになりたい」「大きなものの役に立ちたい、大きなものに影響を与えたい」という欲求は、SNSが広まってから前よりもっと肥大してると思うから、今の日本はこのころのドイツよりもずっと大衆を戦争にけしかけやすい状況にあるんじゃないかと不安に思った。ていうか、すでにだいぶけしかけられつつあるよね。アメリカのZ世代だと、そういう「何者かになりたい」欲求を持ってる人はそんなに多くなさそう(自分の幸せは周りじゃなくて自分が決めると思ってる人が多そう)だけど、日本の若い世代はどうだろうな?善でも悪でもいいから「目立ちたい」と思ってる人は、まだ結構多いような気がする。自分の人生が虚しいものじゃないと確信することは難しいから、つけこまれやすくて、怖い。
第二に、上のほうにいる人間のくそくだらないプライドで人間は死んでいるね、今も昔も、ってこと。
映画の後半、ドイツがいよいよ戦いに疲弊して停戦交渉をフランスとして、1918年11月11日の11時以降は両者一切攻撃をしないことにしよう、って決める。
でもね…この停戦の発表から件の時間までまだしばらく(たしか15分くらい)あるからって、ドイツ側の軍トップは「今ならフランス側も油断している。有終の美を飾ろう」的なことを言って、疲れ切っている兵士を追い立てて相手を奇襲するように命令するの(!!)。もう戦いは嫌だって言って離脱する兵士は見せしめのために銃殺され、みんな限界を迎えている心身でなんとか最後の攻撃に行く。たった15分で、ここまで生き延びた人がまたたくさん死んだ。
戦争じゃなくても、上のプライドを守るために人の心身の健康が犠牲になってることって今でもいっぱいあるよね(例えば会社で、上司や職場の面子を潰さないために必死で働かなきゃいけない場面で断りきれなかったりとか)。それぞれが「上」とか「えらい人」とか「恩人」とかのためじゃなく自分を大事にしながら生きていくことは、意外と草の根反戦運動になるんじゃないかな、と思った。
一方、この映画の好きじゃなかったところは、女性たちの描かれ方ですな。
あまりにもアイコン的・ご褒美的に女性たちが使われていて嫌でしたわ…。
(↑こういうのを読んだアンチフェミニストは「女は戦場に行かないからそんなぬるいことが言える」的に反論してきそうだけど、「男女どちらも戦争に行く(←そもそもこういう書き方が性別二元論的で嫌だけど。世界には女と男しかいないんじゃないんだから)」ことで平等を目指すんじゃなくてさ、「どうすれば、行きたくない戦場に誰も行かなくて済むようにできるか」を考えようぜと思うわよ…)
ストーリーの他の部分は現代の視点から改変しているところもあるらしいから、ちゃんと人格を持った女性キャラを入れてほしかったな。あと、きっと戦場に送られた男性の中にはゲイやバイの人もいたと思うのに(少し後の時代の話にはなるけどナチスが同性愛者を迫害していたこともわかっている)、出てくるキャラみんなが女性のみを性愛の対象としてるっぽく描かれているのも、あえて今この作品をつくり直すなら足りなくないか?と思う。
昔の作品のリメイクとしては変わった音楽の使い方な気がして(現代音楽っぽいのを入れてるシーンが前半結構多い)、それも面白かったな。音楽の使い方は作品全体のテイストにかなり影響するから、注目しちゃう。