こんばんは、けそです。最近はMidjourneyちゃんの研究をがんばっています。(Midjourneyちゃんがつくってくれたやばい絵をいっぱい貼って、それぞれにつっこみを入れる記事もほんとうは書きたい)
久しぶりに下のきょうだいたちに会ったら「それは差別だぜ…」と思うことが会話にいっぱい出てきてぐったりしたり(しかしうまくそれを伝える技術がない私の不甲斐なさよ…)、確定申告いやだーとか思ってたら、今月も終わりそうで驚いちゃう。
今日は前回(↓)に引き続き、質の高いドキュメンタリーを取り扱っている動画配信サービス・アジアンドキュメンタリーズで観た作品の感想を書いていきますー!もう配信終わってる作品があったらごめんなさい!
(1月の観たもの読んだメモも書きたいんだけど、なかなか手がまわらず…(映画のおすすめがいろいろあるのに!)。今期のドラマでは『今夜すきやきだよ』と『ブラッシュアップライフ』がおすすめ!マンガは『宝石の国』を最新話まで読み終えて作品のメッセージの射程の遠さにため息をついていたよ!)
今月のお品書き
禁断の向こうへ イラン人の秘密
宗教警察の厳しい監視を避けながら、禁止されているはずの“自由”で“欧米風”の暮らしを満喫する人々。夜、秘かに開かれるパーティーに集い、酒とマリファナを楽しむ若者たち。密造酒ビジネスに手を染めるカップル。ドキュメンタリー「禁断の向こうへ イラン人の秘密」配信中! https://t.co/GFU80RcJfB pic.twitter.com/nvYOeUss7W
— アジアンドキュメンタリーズ (@asiandocs_tokyo) 2021年6月5日
イスラム国家の中のイランの独自性(ペルシア文化の独自性)について、部分的に知ることができた。イランのスキー場という、他の動画配信サービスじゃ観られないような場所の雰囲気が知れたのも面白かった。
観光客が「綺麗」だと思う国は、統制が厳しいからこそ綺麗だったりする…ということを思い出す作品でもあった。『紛争でしたら八田まで』のシンガポール編を思い出したり。
不平等な社会を壊すために起こったイラン革命だったのに、結局またそれを先導した人が権威になって、それを称えるために庶民からお金を巻き上げて…と、同じ構造が繰り返される結果になったのがきつかった。それぞれの人が、自分の信じるものとか価値観に一番合った国に気軽に住めるようになったらいいのにな。まあその中でもまたいろんな対立が起こることはたぶん避けられないんだけど…(「対立しない国」ってのはだいたい「対立が許されない国」なのでそれも怖い)。
自由を奪うこと含む、身体への「暴力」が国家を国家たらしめてるので(※)、身体なくして人間が生きられない現状で、どこまで国家の力を弱められるかは疑問だけど。メタバースが拡大したらどうなるだろうか。
(※)国家は暴力を使うこと(人を捉えたり拘束したり含む)が許されてるから、法を守らない人を取り締まることができる。だから国として機能している、ということが書いてある本(と言いながら読み途中)↓
(もうずっと何年も日本の状況は悪化する一方だけど(一部の人だけが得する方向にどんどん進んでいるという意味で。戦争も始めそうだし…)、2023年は1月からさらに想像の斜め上をいくひどさで、この本を読んでいるとああ日本を出てわたしはこの島に移住したいよと夢見てしまう…)
(上記の本の内容から脱線しちゃうけど、今の日本のひどさについて考えるために参考になるものも二つ貼っておく)
↑『戦争のつくりかた』という絵本に書いてある内容をアニメにしたもの。
日本がもう、かなり戦争に近いところまで進んじゃっていることがこれを観るとわかると思う…どうしたらいいんだ…。
↑イングランド出身で10年程日本の特派員だったBBCの記者が、日本の過去と現在の状況について書いている記事。微妙にアジア蔑視を感じるような部分もあったけど…、読んでよかった。最近私は、もう日本は一回壊れるしかないのかもしれないという気持ちになっている(というか思おうが思わなかろうが、いつかそうなるんじゃないか…/最近は毎日いろんなことに絶望している(逆にこれまでが楽観的過ぎたのかもしれない))。
国家と暴力の話に戻って(まあここまでも、部分的には国家と暴力の話ではあったけど…)。
こちらもずっと読み途中になっちゃってるけど、↓の本にも国家と暴力の関係が書いてあったと思う。
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結婚しない、できない私
<日本初公開>ドキュメンタリー映画
— アジアンドキュメンタリーズ (@asiandocs_tokyo) 2022年6月4日
「結婚しない、できない私」大人気配信中!
中国で27歳になっても
結婚しない、できない女性を
”剰女(余った女)”と呼ぶ
婚活に奔走する彼女達と家族の深刻な悩みと
本音を赤裸々に綴った…https://t.co/P1biC84NCE pic.twitter.com/mncGy5C7KW
大学生の頃、同じゼミにいた中国からの留学生の女性が卒業と同時くらいに結婚するって聞いてえらくびっくりしたんだけど、このドキュメンタリーを観てその背景がよくわかった。日本以上に、中国の親からの「結婚しろ」圧はすごいことが多いのだな。親が勝手に(子供の意志を確認せずに)本人のスペック(見た目とか、出身地とか、職業とか)を示して街角で婚活してたりするそう。きつい。
人の家の子供の結婚やら出産やらに口出ししてくる、密接な地域コミュニティの自他境界のなさもつらかった(だから私はその地域において匿名性が高いままで暮らしていける人生でありたいよ、の気持ち…)。「あなたが結婚していなくて、近所で恥ずかしい思いをしてる」とかそういう話が家族から出るってわかってるのに、自分の進学のために親ががんばってお金出してくれたから恩を感じてこまめに里帰りしている弁護士さんが出てくるんだけど、彼女のエピソードが全部全部つらくって「大丈夫だよ、なにも気にしなくていいよ。結婚してないことなんかにあなたの価値を決められてたまるかよ!!」って隣に行って言いたかった。友達と一緒にリラックスしている彼女はあんなにのびのび楽しそうなのに。それで彼女は満ち足りてるのに、何も足りなくないのに。はあああ…。(そういえばこのドキュメンタリーは、子供を自分の延長線上にあるものだと思ってる親との関係についていっぱい描いているドキュメンタリーでもあった。子供の人生は、子供のもの!!子供は親の世間体のために生きてるわけじゃないんだよ!)今彼女が、ちゃんとリラックスして自分を大事にして生きてますように。
女性(勝手に周りに女性扱いされちゃうノンバイナリーだったりも)が結婚しない・子供を持たないということが、他の選択肢とまったく同じようにフラットに選べるのが、成熟した社会だと思う。つまり、世界でそれを達成している「成熟した社会」は、まだどこにもない。
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スタジアムの奴隷たち
カタール・ドキュメンタリー配信中!
— アジアンドキュメンタリーズ (@asiandocs_tokyo) 2022年12月11日
「スタジアムの奴隷たち」
中東初のW杯開催だが
欧州では施設の建設に携わった
外国人労働者らへの非人道的な扱いなどを理由に
抗議活動が広がっている
メディアや人権団体によると
建設現場で死亡した労働者は6千人という…https://t.co/m23MSz0fZP pic.twitter.com/aPbuhUMbnZ
去年のサッカーW杯は、過酷な労働の上にできてる施設が使われてるとネットの記事で読んでいたから一切観なかった(たしかドイツなどでも同じように視聴をやめた人が多かったみたい。世界には搾取がはびこりすぎてて、搾取の上にできてるものをすべて避けることは(残念ながら…)できないと感じるけど、なるべくできるとこから避けたい、その構造が続くことに「なんとなく」加担したくない)。過酷な労働とはどのようなものだったのか、このドキュメンタリーを観るとよくわかる。
スポーツに政治を持ち込むなという人がいるけど、実際にはスポーツ(特に国を代表して戦うようなイベント、つまり大きなお金が動くイベント)は政治と切り離せない。サッカー自体は(詳しくないけども)面白いし、こういう状況が問題だと思ってるプロ選手やサポーターだっていると思うからなんとか切り離せないだろうか、バランス取れないのだろうか、と思うのだけど…悔しい。
食事のための休憩の時間すら保証されず、(カタール以外の国から仕事を求めてやってきた労働者が多い中)故郷を出る際に提示された契約条件は現地入りしてからあっさり変えられてしまう。カタールは暑い国だから、重労働×長時間労働が文字通り人を殺す。ジャーナリストにこうした状況を話した裏切り者は、帰りの飛行機代ももらえない中職を失う。
このドキュメンタリー自体は、すごく意義のあるものだった。
でもこの記事↓で書かれてる通り、「人権意識」があるはずのヨーロッパ(=カタールを人権意識の欠如で非難してる国)で、いまだにヨーロッパ以外からの移民だったりムスリムたちだったりが差別されてることも忘れちゃいけないと思う。
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ノクターン -兄弟の絆-
自閉症の天才音楽家、ウン・ソンホと、彼の家族の心情を捉えたヒューマンドキュメンタリー。兄弟が支え合って生きてほしいという母の願いとは裏腹に、二人の間には不協和音が鳴り響く。母は不安を抱えながらも、一つの賭けに出た。
— アジアンドキュメンタリーズ (@asiandocs_tokyo) 2022年10月9日
「ノクターンー兄弟の絆ー」【日本初公開】https://t.co/2lWWhA45iw pic.twitter.com/UHtiaCE1I7
「きょうだいは助け合わなくちゃ!」ということを絶対に正しいこととして教えようとしてくる親がまじで苦手なので(きょうだいをつくることを決めるのは親だから、せめてきょうだいとどれくらいかかわるかは子供に選択権をくれよと思う、きょうだいが仲良しでいることを前提にしないでくれと思う)、このドキュメンタリーのお母さんは心底無理だった。邦題も、勝手に絆を強要してきて(そして感動方向に持って行きたい意図を感じて)ひどいと思う。
が、特にこのドキュメンタリーみたいに、きょうだいが障害を持っている場合(特に知的障害・発達障害・精神障害)にその人を血縁者以外&仕事として以外で助けてくれる人が少なかったりいなかったりするという社会の背景があるので、お母さんだけを責めてもどうしようもないんだよな…。私は今、知的障害をもつ人たちの暮らすグループホームでアルバイトをしているんだけど、その(障害をもった)人のことが好きだということや気が合うということや大事だということと、その人を支える役割・ケアする役割をずっと担えることは全然別だと感じる。
弟のコンギさんが自分の心を壊さない範囲でお兄さんとかかわることが、選べるようになりますように。私はコンギさんが弾くピアノがすごく好きだった。