螘サンバカーニバル

けそのブログだよ

コンテンツ月記(令和四年、長月)

マレーシア旅行で撮った写真。イスラム建築の幾何学模様が私はとても好き

読んだもの、観たものを、書きなぐりのメモで記録します。完読できてないものも、書きたいことがあったらメモします。すでに長めのレビューを書いてるものや書く予定のものは、基本的に除いてます(…と言いながら、ここで書いてる感想も割と長いんだけど)。


例によって、つい最近読んだり観たものの感想から、しばらく寝かせた感想まで、幅があります。最近めちゃくちゃ映画を観ているのでまったく感想が間に合ってないよ!!!

 

==評価基準(特に記載したいときだけ)==
\(^o^)/ 乾杯。愛。最高の毒なり薬。
φ(..) 特別賞(今後思い出すだろうシーン有等)
==ココカラ==


今月のお品書き↓

 

 

漫画

マイ・ブロークン・マリコ φ(..)

主人公は、やさぐれてる会社員女性・シイちゃん。実の父親から性的なものも含む虐待を受けていたマリコと中学生のときから親友で、でもそのマリコがある日突然死んでしまった。「今度こそあたしが助ける 待ってろマリコ」とシイちゃんが向かった先は…、という話。


ずーっと読みたかった漫画で、実写版の映画が公開され始めたので、「そうだ読まなくちゃ」と思って読む(ちなみに映画版は、予告を観たところ、あんまり好きなテイストじゃなかった…)。
午前中に読んで、あまりにも苦しくて読み終わってから頭がぼーっとして、でもほんとうに読んでよかったと思った。

私が中学生だったとき、「できる子ばっかり存在が許されてるから、部活がつらい」って友達の悩み相談を受けてた夜があった。私は自分ちの前で彼女の話を聞いてたんだけど、結局私の父親(モラハラ糞野郎)に「もう遅い」って家に無理やり連れ戻されて、話は中途半端になってしまった。父親は「部活のことなんてどうだっていいだろ、夜に出歩くのは迷惑だ」と私を大声で叱ったけど(このように頻繁に怒鳴っている父親のほうがずっと近所迷惑だった)、10代のときの世界は狭くって、だから部活はぜんぜんどうでもいいことじゃなかった。大人になったらもっと周りの人を助けられるようになるのだろうかとそのときぼんやり思っていたけど、大人になった今も誰のことも助けられないなって毎日絶望している(もっとお金持ちだったら少しは違うのかもしれないが)。特に、家族の間で起こってることに対してできることって、あまりにも少ない。家族の中だけ、あまりにも治外法権が許されている。「そばにいるだけ」「話を聞くだけ」で救われるって言っていいのは話す側の人だけで、聞く側の人は無力感を抱え続けるしかないんだと思う。

そういう無力感をいっぱいいっぱいに詰め込んだ話で、すごくきれいで、死ぬほど悲しくて、ぜんぜんよかったとは思えないのに妙に爽やかでもあって、いろんな感情がマーブル模様になった後味で読み終えた。


とにかく絵が素敵。人物だけじゃなくて、背景もかっこいいので、眺めていて目が幸せになる。重いテーマなのに、適度に笑えるシーンが入っているところもいい。この作者さん(平庫ワカさん)の漫画はもっと読んでみたいなと思った。

 

ひばりの朝(1~2巻) \(^o^)/

ふざけた顔文字がまったく似合わない、とんでもなくつらい話だった。

これもずっと読みたかった作品で(というか途中までLINEマンガで読んでたけど結末を見届けられていなくって)、今ちょうど割引をしていたので買った。『マイ・ブロークン・マリコ』は、これと同じタイミングで読むべき作品だろうと思って読んだところもある。

肉付きの良い中学生・ひばり。彼女はただそこにいるだけなのに、男たちは彼女を「誘惑してくる」存在だと思っている。そんな彼女を気持ち悪がる女と、こっそりうらやむ女がいる。ひばりの父親は、ひばりがシャワーを浴びる間、ずっと浴室のドアの向こう側でたたずんでいる。ひばりの母親は、「体だけいっちょまえに育った」ひばりが、まだほんの子供だということをまったく理解しない。家にも学校にもひばりの居場所はない。ひばりはだんだん、あたしがわるいのかな、と思い始める…。という、話。


『違国日記』のヤマシタトモコさんの作品なんだけど、この人が描くダークな作品はまったく容赦ないな、と思いながら読んだ。ず------っとつらい。真っ暗な気持ちになる。でも変に救いがある話にまったく救われないという気持ちはとてもよくわかるから、ずっとつらくて救いがない話にしか救われない人もいるから、そういうときもあるから、だからこういう物語は必要だと思う。

 

Amazonのレビューとかを観ていると、「ラストの解釈は読み手によって分かれるものだ」と思ってる人が多いようだけど、ヤマシタトモコさんはそういうふうには描いていないと私は思った。このタイトルだし、「I must be gone and, or stay and die」が太字になっていたわけだし、そこでひばりの表情に変化があったわけだし、片方のオチしかありえない(もしかするとこのあたりはまた別に考察記事を書くかも←こう言ってるとき、だいたい書かないのが私なんだけども…)。「フェミニズムの現在」を特集してた号の現代思想に載ってたヤマシタトモコさんのインタビューを読むと、ますますそう思う。

(これに載ってるインタビューおもしろいですわよー)


(以下、ほんのちょっとだけ↑のインタビューを読んだ人向けの話)
憲人についてヤマシタさんが言ってたことは、私は同意しかねた。憲人は、もっと変われる人だと思う、今は知識を持ってないだけで。でも、子供をとりまく状況や家族を取り巻く状況を無差別に楽観視してる大人にくそって思う感じは、すごくわかる。

 

マンガでわかる!認知症の人が見ている世界 φ(..) 

私は知的障害をもつ人のグループホームでバイトをしてるんだけど、知的障害のある人は認知症を診断するテストを受けることができないらしい(テストでは認知症かどうかわからないらしい←すべての人にあてはまることなのかは不明)。利用者さんが認知症になってしまったときのために備えて(というか今も既になってる人がいるかもしれない)、あと自分の祖母たちの状態について知りたくて、読むことにした(私が読んだときはKindle Unlimitedの対象だった)。

文章も挟まってるんだけどマンガがメインなので、疲れているときでも読みやすい。認知症の人に見えている世界をその人の視点から体験できるので、マンガ表現って可能性があるなーと思ったりもした。認知症の人は「一般的な話し方が2倍速以上に聞こえる」ことや「言葉が理解できなくてもジェスチャーで理解できることがあること」など、新しく学ぶことがたくさんあった。「同じことを何回言っても忘れちゃう」「知っている人が認識できなくなる」など、認知症でよく見かけるケースが多く取り上げられていて、対処法も具体的だったのでよかった。

 

認知症の人は「なるべく人に頼らないようにしなくちゃ」「自分でなんとかしなくちゃ」という不安を持ってる人がとても多いんだなと思った。そういう価値観の世代じゃない人(人に頼ることは必ずしも恥じゃないと思う世代)が認知症の多数派になったら、また症状って変わるのかな?

(本文の内容からは脱線するんだけど、ここで紹介されてる具体的な認知症の事例をぱくってツイートをばずらせてるアカウントを最近見かけた。いろいろ読んでおくと、「オリジナルの努力を大した努力もせず奪っちゃうヤツ」を見分けられる機会が増えるのでいいなと思う)

 

映画

インサイドヘッド \(^o^)/ 

 ジェーン・スーさんが「自分に似てるキャラが出てる」と前に言っていたので気になってた作品です笑。そんなきっかけで観たけど、予想してたよりずっといい作品だった。

11才の少女ライリーの頭の中の“5つの感情たち”─ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。遠い街への引っ越しをきっかけに不安定になったライリーの心の中で、ヨロコビとカナシミは迷子になってしまう。ライリーはこのまま感情を失い、心が壊れてしまうのか?

Amazonの作品紹介より引用)


英語圏の人はこの感情の分け方で納得してんのか?という5人のラインナップだなというのがまず第一印象だった。ムカムカとイカリ、似てない?
ムカムカは英語版だと「disgust」なのでうんざりとか嫌気って感じ、ビビリは英語版だと「fear」なので恐れって感じですかね。

(ちなみにスーさんに似てるのはカナシミです。以下、微妙にネタバレすれすれのとこがあるので注意)

 

この物語、たぶん昔観たらよくわかんなかったと思う。わからなかったであろう点と、この物語のすごいな、好きだな(稲川淳二ではない)と思った点は同じで、「カナシミの大事さを強調しているところ」。


私の母ががんで入院してるとき、私含む子供たちが自分の生活をまったく心配してくれないと言って私の父が怒ってたことがあったんだけど、彼の感情はほんとうは「カナシミ」だったと思う。自分が下にならないように、そのことで気づかないように、カナシミを怒りで出力しちゃってただけで。

 

そのときのことについて描いた漫画↓

note.com

 

でもこういう人、(特に男性に)すごく多いって私は思う。私自身も、悲しみや不安を怒りで出力しちゃうときがある。

 

インサイド・ヘッド』はきっとライリーくらいの子供が主な視聴対象になってるんだと思うけど、そのときに観てどういう意味かわからなかったとしても、だんだん意味がわかってくる(かもしれない)っていうのが大事なんだろうな。「カナシミも大事な感情なんだよ、必要なんだよ」ってメッセージが、頭の片隅にあることは大事なことだと思う。

(多くの物語については「もっと女の子を増やしてくれ~」と私は思うけど、そういう意味では、この物語の主人公は男の子のほうがよかったのかも。悲しみを出力することはよくないことだと教えられる男の子は多いと思うからね…。男の子がいかに「弱さ」を抑圧されているかっていうことについて、最近この本↓を読んで前よりもさらに考えるようになった。おばあちゃんが死んじゃった時、「泣くのは男らしくない」って教えられて育ってきたばっかりに、悲しさをどう表現していいかわからなかった男性とかが出てくるのよ…それは病気になるよね…!)

 

5人の感情たちはライリーの頭の中だけにいるんじゃなくて、ほかの登場人物の頭の中にもいるんだけど、どの感情が真ん中にいるかとか、感情たちのいる部屋や操縦パネルのデザインとかが細かく違っていて、それをじっくり眺めるのも楽しかった。「私だったら(身近な人だったら)感情たちの様子はどんなかな!?」って想像するのも面白い。

 

そして私は、ビンボンおよびこのキャラまわりのエピソードがすごく好きであったよ…。思い出すだけでもぐっとくるよ…。

 

(私はヨロコビの無神経な陽キャ感がすごく苦手で、彼女とは友達になれなそうだと思いながら観た笑)

 

死ぬほどあなたを愛してる

代理ミュンヒハウゼン症候群が関係する、実際にあった事件をもとにした映画。

ミュンヒハウゼン症候群
精神疾患の一つ。他人の同情や関心を引くため、病気を偽ったり実際の病気の症状を過大に訴えたり、自傷行為に及んだりする。「法螺吹き男爵の冒険」で知られるミュンヒハウゼン男爵にちなむ。害を他者になす代理ミュンヒハウゼン症候群とよばれる病態もある。

代理ミュンヒハウゼン症候群
他人の同情を引くため、自らの保護下にある子供や高齢者などをひそかに虐待し、その看護・介護に献身する姿をアピールする。

(いずれもデジタル大辞泉より、引用)


この「ミュンヒハウゼン」って言葉によって野次馬的に消費されちゃう感じがあるから、名称を変更したほうがいいと主張している医師もいるらしい。すいません…たしかにこの名前に魅かれてしまっていました…。

 

(以下、核心部分は避けるんだけどややネタバレになっちゃうかもしれないので、展開の意外さを楽しみたい方は何も読まずに観ていただくのがおすすめ…。今配信してるNetflixでも10月14日に配信が終わっちゃうっぽいので気になる方はお早めにどうぞ!)

これだけじゃ面白いかどうかなんにもわからんわい!という方のためにもう少し具体的に踏み込むと、「難病でテレビに取り上げられたりしていた女の子、ほんとは病気じゃありませんでした☆母親が代理ミュンヒハウゼン症候群で、女の子は母親に病気だと言い聞かせられていただけでした☆医者にもなんかうまいこと言ってだまし続けてきたのでした!でもそれに気づいちゃった女の子は、どうしたらいいのー?」という話です。


たぶん私が20代前半にこれを観たとしたら気になりもしなかったと思うんだけど、結構ジェンダー的に気になる要素がちりばめられている作品だった。
第一に、代理ミュンヒハウゼン症候群になるのが「母親だ」って点。この映画は史実を基にしたフィクションだけど、実際もこの症候群になる人は母親が多いらしい(外国だけじゃなく、日本でもあるらしい)。育児をすることは母親にとって「当たり前なこと」だと思ってる人が多いから、じゃない?誰もほめてくれない・認めてくれないから、母親たちがほめられる方法・認められる方法を無意識的に編み出しちゃったんじゃない?その辺をもっと真剣に考えないといくらでもエズメみたいな人は発生すると思う。

第二に、エズメが母親の支配から逃れる方法として「エズメがその『処女性』を利用される」方法しかなかったという点。「そっちも地獄だよ」って感じでつらかった。女の人の逃げ道が「彼氏をつくる」とか「結婚する」しかないケースっていっぱいあるけど、それは逃げ道じゃなくてギャンブルなんだよな…。


そして、ほんとうに難病がある人でも、今一緒にいる家族とは離れたいと思ってる人がいると思う…。メタバースが今よりも一般化したら、 もっと外につながりやすくなるのかな…。

 

 予告編のYOUTUBEとかみつからなかったので、代理ミュンヒハウゼン症候群関連作として、ミッドサマーでおなじみアリ・アスターの短編『Munchausen』を貼っておくね☆ピクサー(具体的にはたぶんトイストーリー)にインスパイアされた作品らしいよ。

(言葉がない&16分くらいの短い作品なので、気軽に観られます☆)

youtu.be