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一人っ子政策で失った「過去」を探して:『ワタシが"私"を見つけるまで』

Netflixで、ドキュメンタリー『ワタシが"私"を見つけるまで』を観た。

 

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中国の一人っ子政策で親に手放され、施設で育った後に外国で養子として育った女の子たちが、家系図を研究する女性の助けを得て、自分の親を探しに行くという内容の作品。それぞれの人生の重要なシーンに立ち会わせてもらったような…ずっしりとした気持ちが残る作品だった。

一人っ子政策の下で生まれた女の子たちは、様々な理由から親に手放され、施設で育って、アメリカに渡っていった。今の家族は自分のことを愛してくれている。でも、自分の人生の最初の部分がぽっかり抜けているような気持ちになったり、「私は捨てられた子供なんだ」とどこかで自分を肯定できなかったりしている。そんな中、「もし実の親に会ってみたいと思うなら、探すことができる」という研究者の方が現れる。

研究者の方が、女の子たちの赤ちゃん時代の写真と現在の写真を中国のネットに載せて「この人を知っていたら連絡ください」と呼びかけると、結構情報が集まる(←ということに驚いた)。その後、「もしかしたら、私たちの子供かも」と言ってきた人の唾液を採集し、DNAが一致するかどうかを調べるのだが…。「この人は実親かも」という人が現れたとき、自分の感情を表すより先に養親の顔を窺う女の子もいて。
(そうだよね。「実の親に会いたい」っていう気持ちを素直に表現することは、養親を傷つけちゃうような気もするよね…)

 

このドキュメンタリーを観て初めて知ったのは、「一人っ子政策の下で複数名子供を産んだ人の中には、無理やり(二人目以降の)子供を連れていかれてしまった人もいる」ということ。映像の中では、「生まれてしばらくした後、警察に子供が連れ去られた」と話している人もいた。女の子たちの中には「私は親に捨てられたのかな」って思って不安になっている子もいたけど、ルーツを探る旅の中で「たぶんほとんどの人は嫌々子供を手放したんだ」ということを知る。子供にとっても親にとっても、悲しい制度だね…。

また、親に手放された子供の多くは女の子だったということも、このドキュメンタリーで初めて知った。二人目以降の子供も、罰金を払えば自分たちの手で育てることができたらしいのだけれど、女の子だと手放されることが多かったのだという。女の子たちの旅の手助けをした研究者の方自身が、親に手放されそうになっていたそうで(祖父母が止めて免れたそう)、「育ててはもらったけれど、父親と接する中で兄の方が優先されていると感じることは多かった」というようなことを話していたのが印象的だった。
だから、彼女は女の子たちの気持ちのすぐそばに寄り添うことができたんだろうな。彼女にとっても、女の子たちと同じ時間を過ごすことが癒しになっていたのだと思う。たとえ一緒に過ごす時間が短くても、痛みを分け合った人たちの間には強い繋がりができるから。そういう信頼関係を築いた者同士が交わす笑顔って、すごく強くて素敵だよな…。…そう、そうなの!観る前にはまったく予想していなかったけど、これは「シスターフッド」の作品でもあった。

 

「政府や自治体の大きな力が取りこぼしたり見放したりした存在をケアしている人が、世界のどこにでもいるんだね…」というのを感じるシーンがたくさんあって、それにもじーんとした(個人の努力だけでは限界があるから、政府や自治体もちゃんとしてくれ~とも同時に思うけど)。

特に、女の子たちを施設で育てていた保育士さんが(一度に何十人もの子供をみていたこともあったのに)それぞれの女の子の小さいときの様子を覚えていて、心から再会を喜んでいたシーンに感動した。かつて施設にいた看護師さんが、「自分が医者だったら子供たちに注射も打てるのに」と思ってついに医学部に進んだって話にも。こんなにも他者に心を分けられる人がいるんだなあ…!

 

マンガなどではよく、子供を「あんたは橋の下で拾ってきた子供だからね」とからかうというシーンが出てくるけれど、本当にそうやって拾われてきた女の子たちの複雑な気持ちを本作で観て、もうこういうジョークは言えないなあ、と思った。「あなたは、このあたりで拾われたの。きっとあなたの親御さんは、朝、通勤する人が多い時間帯を選んで、場所も人がたくさん通るところにしたんだと思う」というような話を聞く女の子たち、どんな気持ちだったんだろう。親には親の事情があったんだってわかったあとでも、それを聞くのはつらいことだったろうな…。

 

私は、日本の(というかアジアの?)血縁を重視する感じがちょっと怖くて苦手なのだけど(血縁関係かどうかよりも、互いを尊重できるかどうかの方が大切だと思う)、「自分と血を分けた人で、自分と運命をともにしたかもしれない人が、まったくの他人として世界のどこかに暮らしている」ことを知らされたら、やっぱりその人(たち)を探したくなるかもしれないな。

 

しかし、せっかくいい作品なのに、邦題がよくない!
彼女たちは自分探しをするために中国へ向かったわけじゃないから(どちらかというと、自分の土台を確認するために行ったという感じ)、ちょっと焦点がずれてると感じるぜ…。同じ読みのタイトルのラブコメがあるので、検索にもヒットしにくくなってるし…。

 

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