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「ひとりでやれる」という感覚は力:ドラマ『うきわ』と本『村に火をつけ、白痴になれ』の感想

配偶者が浮気をしているお隣さん同士、お互いを「うきわ」だと思い、穏やかに支え合う「不倫未満」の関係を丁寧に描くドラマ『うきわ』を観た。

淡々と進むドラマだったんだけど、とてもよかった。
日本のドラマ、確実にレベル上がってる!!嬉しい!(どういう立場?)
最終回終わる前に感想書けたらよかったのに、ごめんなさい!
Paraviではまだ配信されていると思います。

 

原作のマンガも少しだけ読んだんだけど、この切ないもどかしい雰囲気が上手に落とし込まれていると感じた。

(私は基本的に幸薄そうな顔の人が好き(←性格悪い)なんだ…)

夫の転勤で広島から東京に引っ越してきた麻衣子を門脇麦さんが、その夫の上司で社宅の隣に住む一(はじめ)を森山直太朗さんが演じている。ふたりの配偶者はそれぞれ浮気をしていて、ふたりともそのことを知っているけど黙って夫婦生活を続けている。浮気「され仲間」のお互いが社宅のベランダに出てきたとき、非常扉越しにその辛さをこぼし合うことで…。

ちなみに麻衣子の夫のたっくんは大東駿介さん、一の妻は聖(せい)は西田尚美さん。

直太朗氏の静かな色気に注目した人の慧眼に1億点差し上げたい…。


いろいろ読んだ結果、結婚と恋愛を結び付ける考え方からすっかり脱出してしまった私であるため(このあたりの話(具体的には雑誌『現代思想』で感銘を受けた内容)を詳しく書きたいとずーーっと思ってるんですけど、なかなかできず涙。今年中には書きたい…)、「不倫なんてタブーなのに…」ってところで揺れる主役の4人にまったく共感できなくなってしまっていた。そもそもそれぞれの夫婦が、話し合いがまったく足りてなくてイライラした。でも、すごく面白く観た(面白いと感じる上で「共感」は必ず要るものでもない)。


まず、「肉体関係を持つ」ってこと以外で、「好き」を表現しようとしたところ、視聴者を信用しているねえ!余白のドラマだね!ってことで、すごくよかった。

 

麻衣子はクリーニング屋のパートとして働くんだけど、妻の聖さんが預けに来た一さんのスーツのにおいをちょっとね、嗅いじゃったりするのよ。

原作者さんがドラマのそのシーンを再現してツイートされてます(原作のよさをドラマならではのやり方で増幅させる映像化、最高だね)↓

 

 

 

こういう恋愛へのまなざしは、映画『愛がなんだ』にも通じますな。
大人になっても、計算なく誰かのことずっと考えられるような恋ができる人は、幸せだと思う。


夏クールのドラマだということもあるのかな?
映像の青みが強くて、ちょっと懐かしいイメージなのも素敵だった。


=ここからドラマのネタバレありの内容になっちゃうので、何も知らずに観たい方はご注意を!=

他にも、「恋愛関係じゃないけど自分の気持ちについて話せる関係の男女」を数組置いてるとこ、いいね!(麻衣子と佐々木くん/一と愛宕さん)とか、大東駿介さんの浮気ばれたときの演技最高だね!(癖なのか時々ちょっと笑っちゃうのが非常にリアルでたっくんの人間性を感じさせた…、大東さんノーマークでしたが素晴らしい役者さんだった!)とか、部屋の作りこみが細かい!とかいろいろ言いたいことはあるんですが…何より…。

 

ラストが本当に素晴らしかった!

 

(ネタバレ気にしない派でここを読んでくださってる方のために)一応書いておくと、結局麻衣子はたっくんとも一さんとも関係を切って、一人でまた人生をやり直すことを選ぶんです。

それまで麻衣子ってあんまり自分の意志がない人で、ただたっくんについていくことを選んでいたんだけど、小さく仕事を始めてみたり、佐々木くんや一さんと話す中で、「私、今のまるで仮面夫婦な生活をいいと思ってないな」って、少しずつ自分の気持ちがクリアに見えるようになっていく。最初は「でも、離婚してやっていけるかな…」って不安だったのだけれど、外の世界に触れる中で少しずつ「もしかしたら、一人でもやっていけるかもしれない」と思えるようになっていく。そしてついに行動に移る。

「たっくんと別れて一さんと一緒になったほうが、麻衣子は幸せそうなのに!」と思ってドラマを観ていたけど、その先を行くラストだった。

 

最近読んだ本の『村に火をつけ、白痴になれ』の、こんな一節のことを思い出した。
(同書は、明治・大正を生きたアナキスト伊藤野枝の生涯を、平成・令和のアナキスト栗原康さんが愛溢れる文体で綴った作品。以下は、米騒動についてのくだり)

 

米価の高騰で、コメが買えない。だったらということで、主婦たちが米屋をおそい、その場で廉売所をつくらせる。こっちが買える値段で、やすく売らせるのだ。それでも買えなければ、カネもはらわずにもっていく。米屋がいやがれば怒鳴りつけ、下駄をなげつける。それでもきかなければ、放火である。どうせ食えないならば、コメごと燃やしてしまえと。警察がでてきたら、おっちゃん、あんちゃんたちも加勢して、なぐる、けるに、投石、投石だ。数万人の力でおしかえす。圧勝だ。

 これ、野枝にとっては、家庭にとじこめられ、女は妻として夫をささえろ、夫のかせぎで家計をやりくりしろ、それ以外のことはやっちゃいけないと、あれもダメ、これもダメといわれていた女性たちが、そこからとびだしていくことを意味していた。主婦の鏡として、つつましい消費者として行動し、家をまもれ。そういわれてきた女性たちが、妻としての、主婦としての、消費者としての自分をかなぐり捨てて、あれもできる、これもできる、なんでもできる。わたしはすごいと、みずからの生きる力を爆発させている。生の拡充だ、主婦たちがマジで生を拡充している。夫をたよる必要なんてない、カネなんてなくてもなんとかなる、コメをもちさり、食らって生きる。自分のことは自分でやる、やれるんだ。米騒動の主婦たちは、あきらかにそういう感覚を手にしている。

(『村に火をつけ、白痴になれ』より引用)


米騒動のやり方はかなり過激ではあるけれど、主婦たちがお金がなくても社会的地位がなくても自分たちの苦しみ・不当だと思ったことを表明しているところは、希望だと感じた。主婦たちが主婦のまま、戦っている、生き延びようとしている。そのままの自分で、できることがある。

「麻衣子、前は専業主婦だったけど、一人で生きていけるだけの収入を得られるようになったのかな…?」って、ドラマの最後はつい心配になってしまったけど、こうやって社会に「主婦だった人が一人で生きていけるわけない、戦えるわけない」って呪いを刷り込まれちゃってるから、自分でも自分の力が信じられなくなっちゃうんだよね。離婚前の暮らしをそっくりそのまま維持しようと思うから怖くなっちゃうけど、もっと安く住める土地に引っ越してみるとか、いろんな人を頼るとか、欲張りに、図々しく、なんでも利用してしまえばいいんだ。


方法は、「迷惑かな」って思う気持ちを捨てたらきっとつくれるから、まず「自分のままでも、強くならなくても生きていけるはずだ」と信じられることが、大事なのだと思う。麻衣子もきっと、そう信じられるようになったから、自分の人生を取り戻すことができた。
(でももちろん、女性の給与が低めだってこととか、主婦(主夫)としての経験がなめられてるってことにも、おかしいと言い続けていく必要があると思うんだけどね)

この頃巷で取りざたされてるフェミニズムって、たとえば女性の政治家を増やすとか、女性管理職を増やすとか、「強くエリート的に」生きる力の話ばっかりだと感じる。それって、「何か言いたいなら、あるいは、自分らしく生きたいとか言うならば、まずはそれ相応の発言権を持たなきゃだめだよ」って言われているようなもんだ。

もちろんそういうことを進めることも必要だと思うけど、強くなくても誰もが生きていけるような社会にならないと、結局苦しい人はいなくならない。強い(っぽい)人の庇護下に入るか、自分が強くなるかしかないって、一部の人しか救われないってことだ。

…ということで、「弱いまんまで生きていけるっていうのはどういうことなのかな?弱い人がそれでも黙らないでいるってどういうことなんだろう?」というのを考えている今日この頃で、その延長線上で『村に火をつけ…』はじめ、アナキストの栗原康さんの本をちまちま読んでいるところなんだけど、『うきわ』でも近いメッセージを受け取ることになるとは、観始めたときは思いもよらなかったな。嬉しい驚きだ。

 

(栗原さんの本についてはほかにもたくさん書きたいことがあるのだけれど…それはまた、今度)

↑数年前に話題になっていた本だけど、表紙の印象から「真面目な本なのかな?とっつきにくい」と勝手に思って読まずにいた。まったくそんなことはありません、めちゃくちゃポップな本です(レビューを見るに、その文体が「真面目」な方たちには不評だったりするんだけど。栗原さんの個性が爆発しているひらがな多めの独特の文体なので、ポップなのが好きでも苦手な人はいそうではある。野枝の人生を追いながら、時々栗原さんが思ったことがコメントあるいは掛け声的に差し込まれてるのも、かわいくて面白い。たとえば以下みたいな感じに(いずれも本書より引用、太字が栗原さんのコメント的な部分。太字は私によるもの))。

三月二十六日、卒業式をむかえた。おめでとう。

(おめでとう、って笑)

 

さらに日本政府にたいして、国際的な抗議キャンペーンをはってくれた。いいひとだ。

(ここまで堂々と主観が入ってると逆にすがすがしい)

 

野枝、親戚に決められた結婚相手が嫌で、好きだった高校の先生を頼っていっちゃったり(その後、結局その先生と結婚する)、平塚らいてうから『青鞜』の編集権をゲットしたり、既に三角関係を抱えていた大杉栄と恋愛関係になってまさかの四角関係になっちゃったりと、波乱万丈な人生をとにかくわがままに生き抜いた人で、読むと元気が出るよ!(でもこういう人が近くにいたら大変だろうな!)